小早川隆景

概要

 小早川隆景は、毛利元就の三男として、毛利家の発展に貢献するとともに、豊臣政権では五大老の1人となった戦国時代の大名・武将です。

名 前小早川 隆景 (こばやかわ たかかげ)
別 名(幼名)徳寿丸
性 別男性
生没年1533年(天文2年)~1597年7月26日(慶長2年6月12日)
出生地安芸吉田郡山城(現:広島県安芸高田市吉田町吉田)
没 地
時 代戦国安土
父 親毛利元就、(養父)小早川興景
母 親妙玖
配偶者問田大方
子 供(養子)毛利秀包、小早川秀秋
家 族
備 考

名言

小早川隆景による名言・至言です。

異見をして見るに直に請合ふ者に、其異見を保つ者なし、異見をする人の詞(ことば)を能く聞きて我心に考へ合点ならぬ所をば、一ト問答も二タ問答もして理に詰りて後尤も請る者は、後ちまで其異見を用ふる者なり

『名将言行録』

我心十分の思慮を尽す故、既に決断しては是も非も我心に在る所の力悉く尽す故、後悔寡し

『名将言行録』

   黒田官兵衛と話したときの言葉。黒田官兵衛はすごく聡明ですぐに決断するが、後々後悔することある反面、自分は聡明でないが故、人に話を聞いたりして、じっくり考えるので、後悔することは少ないという。

人たる者は不断門には、磔の木ありと心得べし、何事も其所作行跡懈怠あらば、此磔の木に懸るべしと思ひ、油断すること勿れ

『名将言行録』


参考

  岡谷繁実「名将言行録 1

コメント

タイトルとURLをコピーしました