概要
第5回内国勧業博覧会は、1903年(明治36年)に開催された大阪での博覧会です。
名 前 | 第5回内国勧業博覧会 (だい5かいないこくかんぎょうはくらんかい) |
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区 分 | イベント |
期 間 | 1903年(明治36年)3月1日~7月31日 |
場 所 | 大阪府大阪市天王寺今宮 |
時 代 | 明治 |
備 考 |
年表
1898年(明治31年)
この頃から、勧業博覧会誘致運動が繰り広げられる
1901年(明治33年)
3月 帝国議会で大阪での開催が正式決定
国の事業であるが、総経費の43%、128万1000余円を大阪市が負担し、高い地元の負担率となる。
1901年~1903年
開催に備え、街の健全化・美化キャンペーンが行われる
大阪市長が「外人来遊する以上は大阪全市は即ち博覧会場なり」として、市街電車の敷設、人力車料金の明朗化、裸体での往来禁止、正札販売の励行などのキャンペーンが行われる。
1903年(明治36年)
3月1日 「第5回内国勧業博覧会」開幕
大阪市天王寺今宮で開催され、敷地は前回・第4回博覧会の2倍にも達し、会期も最長、最大の内国勧業博覧会となった。
また、将来の万博開催を見据え、この回から海外品も出展され、展示品数も前回の17万点から遥かに多い約27万点となった。
4月15日 夜間営業開始
イルミネーションなどが施される。
7月31日 「第5回内国勧業博覧会」閉幕
この博覧会は非常に人気を博し、6月16日には、1日で13万6千人の入場者があり、正午には札止め、入場禁止の措置がとられたという。
また、一般の市民のみならず、明治天皇は7回、行幸される。
この結果、規模としては過去最大であり、折しも鉄道網の発達などもあったことから、入場者も過去最大の4,350,693人となった。
その後
博覧会会場跡は、天王寺公園や新世界ルナパークになるなど、大阪の街並み形成に大きく寄与することになる。
参考
「大阪の歴史」研究会「大阪近代史話」
小山仁示・芝山篤樹「大阪府の百年」
国立国会図書館「博覧会-近代技術の展示場」
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