年表
1852年
パリで、世界最初のデパートである「ボン・マルシェ」が誕生
日本では、江戸時代より呉服店があり、現金正札販売が行われていたが、陳列販売は行われていなかった。
(ただ、全くなかったわけではない)
1895年(明治28年)
三井呉服店本店の2階を陳列式に変更し成功する
三井銀行の高橋義雄が三井呉服店に入り、アメリカのデパートをモデルに改革を始める
1900年(明治33年)
10月15日 三井呉服店本店で、全館を陳列式に変更
初日には、2万2000人の客が殺到
同時に、高橋義雄は、女性店員の採用、洋式帳簿の採用、住み込み年季奉公の廃止、通勤給料制の採用、規則の厳守など、経営の近代化も図る。
(ただし、反対がおこり、従業員のストライキなども発生)
1904年(明治37年)
12月6日 合名会社三井呉服店を改め、株式会社三越呉服店が発足
三井家が三井呉服店の経営を手放し、三越呉服店が引き継ぐ(経営幹部や縁故者らが経営を継承)
1905年(明治38年)
年初、三越呉服店が「デパートメントストア宣言」を新聞で発表
三越呉服店の日比翁助は、「デパートメントストア宣言」を行い、取扱品目の増加などを図っていく。
そして、これを見た同業他社も同様の改革を行っていく。
また、入店者数の増加のため、催し物の開催、ショーウインドーの設置、豪華な建築・店内装飾などを行い、上層階層に新たなライフスタイルを提案していく。
1920年代
デパートの大衆化が進む
給与所得者も増加し、新しい消費階層も登場し、デパートの大衆化が進む。
このような中、均一価格の売り場など、新たな業態も登場する。
例えば、高島屋では1926年に10銭均一の売り場をデパート内に新設、1931年にはデパート外の均一点をチェーン展開するなどが行われる。
反面、中小小売商により、百貨店反対運動などが起こるようになり、社会的・政治的に問題となっていく。
1932年(昭和7年)
「日本百貨店協会」設立
百貨店反対運動に対応するため、百貨店業界は、協会を設立し自主規制を目的とした協定を締結する。
なおこの年、中小の小売商を保護するため、「商業組合法」が制定されている。
1937年(昭和12年)
「百貨店法」制定(第1次百貨店法)
中小小売商の保護、百貨店間の競争抑制などを目的に規制が加えられる。
例えば、百貨店の営業は許可制となり、支店開設・店舗拡張・出張販売なども許可が必要となる。
1945年(昭和20年)
敗戦で、米軍の占領軍により多くのデパートが接収される
1950年代
この頃から、百貨店が「返品制」を導入するようになる
返品制とは、売れ残った商品を問屋などに返品する制度
1952年(昭和27年)
4月28日 サンフランシスコ講和条約発効
これにより、占領軍による接収が解除されるようになる
百貨店による中小小売商・中小卸商への圧迫に対し、公正取引委員会が警告
1954年(昭和29年)
12月 公正取引委員会が「不公正な取引方法」として指定・警告
買取商品の不当な返品、値引きなど8項目について警告
しかし、返品制などはなくならず。
1956年(昭和31年)
5月 「百貨店法」制定(第2次百貨店法)
中小企業保護を目的として、百貨店法が制定される。
1960年代
スーパーが大型化し、「疑似百貨店問題」が起こる
百貨店法は企業を規制しており、店舗面積などは規制対象外であったため、法が適用されないスーパーマーケットの大型化が進む。
1972年(昭和47年)
この年、百貨店トップの三越の売上を、スーパーのダイエーが抜く
1973年(昭和48年)
「大規模小売店舗法」(大店法)が制定される
スーパーの大型化などへの対応から、百貨店法は廃止され、規模を規制対象とする大店法が制定される。
参考
石井寛治『日本流通史: 小売業の近現代』
峰尾美也子「大規模小売店舗に関する出店規制の変遷と評価枠組」
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