概要
株仲間とは、幕府が株を与え、特別な営業特権を認められた商人の集まりのことである。
中世においては、荘園で「座」という商品などに対する特権があったが、織田信長・豊臣秀吉の楽市楽座でこれらの特権が廃止されていた。
しかし江戸時代において、株仲間を商人に結成させ、物価の統制・安定化を図ろうとした。
年表
江戸時代初頭
この頃は、織豊時代の楽市楽座が継承され、商人間の申し合わせや寄り合いなどが禁止される。
17世紀中頃
この頃になると、仲間が認められ始める。
1716年(享保元年)
この年、徳川吉宗が8代将軍となり、享保の改革が始める
この時代の政治課題として、その1つは、米価の下落、その他の商品の物価上昇があった。
そのため、徳川吉宗としては、いかに米価を引き上げ、その他の商品の価格を抑えるかが重要となっていた
1721年(享保6年)
この年、新商品の取扱停止、仲間結成が命じられる
奢侈を禁止するため、絹紬・太物・小間物・書物・紙・瀬戸物など15種の商品を扱う問屋・職人などの調査を行い、新商品の取扱停止を命令する。そして、96種の仲間結成が命じられる。
1722年(享保7年)
この年、江戸町奉行・大岡忠相が生活必需品についても仲間結成を意見する
大岡忠相は、江戸町奉行・諏訪頼篤と連名で「物価引下げに関する意見書」を提出し、炭・薪・酒・醤油・塩について問屋・仲買・小売などの流通段階で仲間を作らせ、物価を監視し、価格が急騰した場合にはその調査を行うことを意見している。
1724年(享保9年)
江戸で22品目を扱う商人に対し、仲間結成が命じられる
真綿・布・繰綿・絹紬・晒・ほうれい綿・木綿・米・水油・蠟燭・蠟・魚油・茶・醤油・薪炭・たばこ・味噌・酢・塩・酒・紙・畳表の22品目に対し、仲間結成が命じられ、1726年(享保11年)4月までに、15品目に関する仲間が登録される。
18世紀中後期
田沼時代となり、株仲間に対して、運上金・冥加金を課す
株仲間の結成促進を図り、株仲間に運上金・冥加金という新たな税を課すことで、上記のように単なる物価抑制策だけではなく、年貢米以外の新たな税収の確保が行われるようになる。
また、この頃になると、地方の新興商人や藩専売などが大坂の問屋の地位を脅かすようになり、商品流通が混乱するようになったため、新興商人を株仲間に取り込み、流通機構の安定化も図ろうとする。
1841年(天保12年)
天保の改革で、この年、株仲間停止令が出される
1833年・1836年の飢饉で、大規模な百姓一揆・打ちこわしなどが起こり、幕府はその原因として、物価上昇・株仲間にあると考え、株仲間停止令を出す。
(実際の物価上昇の原因は、貨幣改鋳によるものと言われている)
1851年(嘉永4年)
この年、問屋再興令が出される
株仲間結成が停止され、物価が低下しないばかりか、流通機構に混乱が生じるようになり、問屋組合の再興が命じられる。
ただ、株札は交付されず、冥加金の上納は不必要で、人員制限も許されないといった点で、従来の株仲間とは異なったものとなっている。
参考
岡崎哲二『江戸の市場経済 歴史制度分析からみた株仲間』
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