群馬県の武将・武士

概要

 群馬県で生まれたり、群馬県にゆかりのある武将・武士の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

  群馬県の出身者・ゆかりのある人物全体については、「群馬県の人物」をご覧ください。

一覧

名前出没年出身地概要
ゆかり

あだちもりなが

安達盛長
1135年~1200年不明
武将

源頼朝が伊豆に配流されていた頃から仕えた側近で、上野国の奉行人、三河守護などを歴任した鎌倉武将

出身者

あまのはちろう

天野八郎
1831年~1868年群馬県
南牧村
幕臣

幕末に、幕府急進派の一員として彰義隊の副頭取となり、上野戦争で敗れ、獄死した幕臣

ゆかり

いいなおたか

井伊直孝
1590年~1659年静岡県
焼津市
大名武将藩士

白井藩主・彦根藩主を務め、大坂夏の陣でも活躍し、譜代大名の重鎮として幕府を支えた大名・武将

ゆかり

いいなおまさ

井伊直政
1561年~1602年静岡県
浜松市
大名武将

「徳川四天王」の1人で徳川家康に仕え、数々の戦功をあげ、高崎藩主・彦根藩主となった戦国大名・武将

ゆかり

いのまたくにのり

猪俣邦憲
不明~1590年不明
武将

北条氏の家臣で上野国の攻略にあたっていたが、名胡城事件を起こし、小田原征伐を招いた戦国武将

ゆかり

うえすぎのりまさ

上杉憲政
1523年~1579年不明
大名武将

関東管領で上野国を治めていたが、武田氏・北条氏に攻められ、長尾景虎を頼り越後に落ち延び、御館の乱で上杉景虎につき殺害された人物

ゆかり

おくだいらのぶまさ

奥平信昌
1555年~1615年愛知県
大名武将

徳川家に仕え、長篠の戦いにおける長篠城籠城、関ヶ原の戦いなどでの功により、上野小幡藩初代藩主・美濃加納藩初代藩主となった戦国大名・武将

出身者

かみいずみのぶつな

上泉信綱
1508年頃~1577年頃群馬県
前橋市
剣術家武将

箕輪長野氏家臣であり、兵法家として陰流・神道流・念流などの諸流派を学び、「新陰流」を創始した戦国時代の剣豪・武将

出身者

からさわげんば

唐沢玄蕃
不明~不明群馬県
中之条町
忍者

武田氏・真田氏家臣で、跳躍術・火薬術に長け、「飛び六法」「忍び名人」とも称された戦国時代の忍者

ゆかり

きたじょうかげひろ

北条景広
1548年~1579年新潟県
武将

父・北条高広と共に厩橋城で上杉謙信に仕えていたが、御館の乱で上杉景虎を支持し死去した戦国武将

ゆかり

きたじょうたかひろ

北条高広
不明~不明新潟県
武将

武勇に優れ上杉家に仕えていたが、武田家や北条家に寝返り、上杉家に二度帰参した戦国武将

ゆかり

さかきばらやすまさ

榊原康政
1548年~1606年愛知県
豊田市
大名武将

「徳川四天王」の1人で、数々の戦で武功を上げ、初代館林藩主となった大名・武将

ゆかり

さなだのぶゆき

真田信之
1566年~1658年長野県
大名武将藩主

真田昌幸の長男で、関ヶ原の戦いで徳川川につき、初代上田藩松代藩主となった戦国武将

ゆかり

さなだまさゆき

真田昌幸
1547年~1611年長野県
大名武将

武田家家臣時代には「信玄の眼」とも言われ、その後、上田合戦で徳川軍を撃退した戦国大名・武将

ゆかり

せきたかかず

関孝和
不明~1708年不明
学者幕臣藩士

筆算式の代数学である点竄術を発明するなど、数学において世界的にも先駆的な業績を残した和算家

ゆかり

たきがわかずます

滝川一益
1525年~1586年滋賀県
大名武将

織田信長の家臣として、長島一向一揆・甲州征伐などで功を挙げ大名となるが、織田信長の死後、柴田勝家につき、羽柴秀吉に降伏し出家した戦国大名・武将

ゆかり

とくがわつなよし

徳川綱吉
1646年~1709年東京都
千代田区
将軍藩主

館林藩初代藩主だったが第5代徳川将軍となり、湯島聖堂の建立、「生類憐れみの令」の制定などを行った人物

ゆかり

ながいなおかつ

永井直勝
1563年~1626年愛知県
碧南市
大名武将

徳川家康に仕え、小牧・長久手の戦いなどで武功を上げ、上野小幡藩主・常陸笠間藩主・下総古河藩初代藩主などになった戦国大名・武将

出身者

ながのなりまさ

長野業正
1491年~1561年群馬県
武将

戦国時代、幾度も武田信玄の侵攻を防いだ箕輪城

出身者

ながのなりもり

長野業盛
1544年~1566年群馬県
武将

長野業正の子で、長野家の家督を継ぐが、武田信玄の大軍に攻め滅ぼされた戦国武将


 他の都道府県の出身者・ゆかりのある人物については、「人物の都道府県一覧」をご覧ください。

タイトルとURLをコピーしました