真田幸隆

概要

 真田幸隆は、真田昌幸の父、真田幸村(信繁)の祖父であり、武田24将の一人として武田信玄に仕えた戦国武将です。

名 前 真田 幸隆 (さなだ ゆきたか)
別 名(別名)真田幸綱
性 別 男性
生没年 1513年(永正10年)~1574年(天正2年)
出生地 信濃国(現:長野県)
没 地
時 代 戦国安土
父 親 真田頼昌
母 親 海野棟綱の娘
配偶者 (正室)恭雲院、(側室)羽尾幸全の娘
子 供 真田信綱、真田昌輝、真田昌幸、真田信尹、金井高勝、真田清鏡、根津志摩守信忠室、長坂昌国室、遠山右馬助室
家 族
備 考

内容

 戦国時代の武田家配下の武将で、武田24将の1人である。真田昌幸の父・真田幸村の祖父。
 一般的には、真田幸隆という名称が一般的だが、歴史上の文献ではほとんど「幸隆」という名は使われておらず、「幸綱」となっている。

略年表

 真田幸隆の人生について、簡単に分かりやすくした略年表です。

年齢 出来事
1513年(永正10年) 1歳 生誕
1541年(天文10年) 29歳 海野平合戦で上野へ逃亡
1546年(天文15年) 34歳 武田家に仕官
1550年(天文19年) 38歳 砥石城攻めを要請
1551年(天文20年) 39歳 砥石城を攻略
1553年(天文22年) 41歳 砥石城番を務める
1556年(弘治2年) 44歳 東天飾城を攻略
1561年(永禄4年) 49歳 第四次川中島の戦い
1567年(永禄10年) 55歳 家督を真田信綱に譲り隠居
1574年(天正2年) 62歳 戸石城で病死

ゆかりの地・施設

真田幸隆に関する施設やゆかりの地です。

上田原古戦場の碑

上田原の古戦場には、碑が建っています。

  上田原古戦場の碑(長野県上田市上田原)


真田山長谷寺

真田幸隆、真田昌幸の菩提所です。


  真田山長谷寺(長野県上田市真田町長4646)


真田宝物館

真田家の文化財などが収蔵されています。

  真田宝物館(長野県長野市松代町松代4−1)


イベント・祭り

真田幸隆に関するイベント・祭りです。


参考

  平山優「真田三代

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