熊本県の政治家・官僚

概要

 熊本県で生まれたり、熊本県にゆかりのある政治家・官僚の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

  熊本県の出身者・ゆかりのある人物全体については、「熊本県の人物」をご覧ください。

一覧

名前出没年出身地概要
出身者

いのうえこわし

井上毅
1844年~1895年熊本県
熊本市
大臣官僚藩士

明治時代に、大日本帝国憲法・皇室典範・教育勅語・軍人勅諭などの起草に携わった官僚・政治家

出身者

うちだこうさい

内田康哉
1865年~1936年熊本県
氷川町
大臣外交官

パリ講和会議やワシントン会議で外相として参加し、第一次世界大戦後の国際協調体制を創設した外交官・政治家

ゆかり

おおうらかねたけ

大浦兼武
1850年~1918年鹿児島県
大臣首長議員警察官官僚

島根県・山口県・熊本県・宮城県知事、警視総監、逓信大臣・農商務大臣・内務大臣などを歴任したが、大浦事件で引退した政治家・官僚

出身者

かえつうじふさ

嘉悦氏房
1834年~1908年熊本県
熊本市
議員議長官僚実業家

洋学校「広取黌」、製糸工場「緑川製糸所」などの設立を行い、熊本の発展に尽力した人物

出身者

かのこぎりょうへい

鹿子木量平
1753年~1841年熊本県
役人

江戸時代に、熊本の大水害への救助、大規模な新田開発などを行った庄屋

出身者

かわづとらお

河津寅雄
1902年~1979年熊本県
首長議員

15年間全国町村会長を務めるとともに、無償で小国町長を務め、ジャージー牛の導入など酪農振興を図った人物

出身者

きくちたけお

菊池武夫
1875年~1955年熊本県
議員軍人

昭和初期に、貴族院議員として、美濃部達吉天皇機関説を攻撃・批判し、国体明徴運動の契機を作った人物

出身者

きようらけいご

清浦奎吾
1850年~1942年熊本県
山鹿市
大臣議員官僚

政党政治から一線を画し、超然主義を唱えたが、第二次護憲運動で総辞職した内閣総理大臣

ゆかり

さいごうたかもり

西郷隆盛
1828年~1877年鹿児島県
鹿児島市
大臣藩士軍人教育者

明治維新の立役者の一人で、西南の役を起した薩摩藩士・政治家・軍人

出身者

たかはしもりお

高橋守雄
1883年~1957年熊本県
山都町
官僚警察官

熊本市長として、上水道や市電の整備など、市内の近代化に尽力した官僚

出身者

とくとみかずたか

徳富一敬
1822年~1914年熊本県
水俣市
学者官僚教育者

徳富蘇峰徳富蘆花の父で、英学校「共立学舎」の設立などに携わった人物

出身者

はやしいちぞう

林市蔵
1867年~1952年熊本県
熊本市
官僚首長実業家銀行家

大阪府知事時代に、現在の民生委員の前身である方面委員制度を創設し、「民生委員の父」とも言われる内務官僚

出身者

ふじむらしろう

藤村紫朗
1845年~1909年熊本県
熊本市
官僚首長議員

明治初期に道路改修や殖産興業の推進などを行った山県令(山県知事)

出身者

ほそかわもりひさ

細川護久
1839年~1893年熊本県
熊本市
藩士議員

熊本藩最後の藩主で、藩知事として藩政改革に尽力した人物

出身者

もとだながざね

元田永孚
1818年~1891年熊本県
藩士官僚

侍読として明治天皇に仕え、『教育勅語』の起草にも携わった人物

出身者

もとやまひこいち

本山彦一
1853年~1932年熊本県
熊本市
実業家議員

新聞社「大阪毎日新聞」社長として、「東京日日新聞」を合併し、「毎日新聞」を全国に育てた実業家

出身者

もりくにひさ

森国久
1912年~1961年熊本県
上天草市
首長

戦後に全国の離島の振興に力を注ぎ、天草五橋の実現に尽力した龍ヶ岳町長

出身者

やすばやすかず

安場保和
1835年~1899年熊本県
首長官僚

福島県・愛知県・福岡県などで県令(現:県知事)などに就き、各地の開発や近代化に尽力した明治時代の官僚


 他の都道府県の出身者・ゆかりのある人物については、「人物の都道府県一覧」をご覧ください。

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