概要
佐賀県で生まれたり、佐賀県にゆかりのある政治家・官僚の一覧を掲載しています(五十音順)
※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。
佐賀県の出身者・ゆかりのある人物全体については、「佐賀県の人物」をご覧ください。
一覧
名前 | 出没年 | 出身地 | 概要 | 出身者 | えぞえまごえもん 江副孫右衛門 | 1885年~1964年 | 佐賀県 有田町 | 実業家首長 日本特殊陶業、日本碍子、東洋陶器(現:TOTO)の社長・会長などを務めた実業家 | 出身者 | えとうしんぺい 江藤新平 | 1834年~1874年 | 佐賀県 佐賀市 | 藩士大臣 明治時代に、士族による反乱である佐賀の乱を起した維新志士・政治家 | 出身者 | おおきたかとう 大木喬任 | 1832年~1899年 | 佐賀県 佐賀市 | 大臣議長首長官僚武士 明治時代初期に、戸籍法制定や法典編纂、近代的な学制を整備した政治家 | 出身者 | おおくましげのぶ 大隈重信 | 1838年~1922年 | 佐賀県 佐賀市 | 大臣議員藩士教育者 早稲田大学の創立者であり、内閣総理大臣として政党内閣を組織した政治家 | 出身者 | さのつねたみ 佐野常民 | 1823年~1902年 | 佐賀県 佐賀市 | 大臣議長藩士 「佐賀の七賢人」の1人で、日本赤十字を設立した、明治時代の政治家 | 出身者 | しまよしたけ 島義勇 | 1822年~1874年 | 佐賀県 佐賀市 | 藩士官僚 札幌の都市整備を行い、「北海道開拓の父」と呼ばれた佐賀藩士 | 出身者 | しもむらおさむ 下村治 | 1910年~1989年 | 佐賀県 佐賀市 | 学者官僚 池田内閣で国民所得倍増計画立案に中心的役割を果たした経済学者・大蔵官僚 | 出身者 | そえじまたねおみ 副島種臣 | 1828年~1905年 | 佐賀県 佐賀市 | 大臣藩士 明治時代に、政体書の起草や民撰議院設立建白書の提出などを行った政治家 | 出身者 | たざわよしはる 田澤義鋪 | 1885年~1944年 | 佐賀県 鹿島市 | 議員官僚 戦前に、青年団運動や青年教育に尽力し、「青年団の父」とも称される人物 | 出身者 | はらぐちちゅうじろう 原口忠次郎 | 1889年~1976年 | 佐賀県 小城市 | 首長議員官僚技術者 神戸市長として、ポートアイランドなどの整備を行い、神戸市の発展に尽力した政治家・官僚 | 出身者 | ひゃくたけかねゆき 百武兼行 | 1842年~1884年 | 佐賀県 佐賀市 | 画家外交官官僚 フランスで初めて洋画を学んだ日本人といわれ、日本で最初に洋画の裸婦像を描いた明治時代の人物 | 出身者 | ひゃくたけさぶろう 百武三郎 | 1872年~1963年 | 佐賀県 | 軍人官僚 第3艦隊参謀として日露戦争で日本海海戦を戦い、太平洋戦争時に侍従長として昭和天皇に仕えた帝国海軍軍人 | 出身者 | ふじやまらいた 藤山雷太 | 1863年~1938年 | 佐賀県 伊万里市 | 実業家議員 製糖会社「大日本製糖」(現:DM三井製糖ホールディングス)の社長となり、事業を拡大させ、「藤山コンツェルン」を創設した戦前の実業家 | 出身者 | ふなつたついちろう 船津辰一郎 | 1873年~1947年 | 佐賀県 白石町 | 外交官実業家 日中戦争発生後、民間人として、対中国和平工作である船津和平工作に携わった外交官・実業家 | 出身者 | ふるかわていじろう 古川貞二郎 | 1934年~2022年 | 佐賀県 佐賀市 | 官僚 村山内閣から小泉内閣にかけて、長年にわたり内閣官房副長官を務めた厚生官僚 | 出身者 | みつゆきじろう 光行次郎 | 1873年~1945年 | 佐賀県 | 検察官議員 二・二六事件の日に登庁しなかったことから、少壮検事ら50名から辞職を求める連判状を突き付けられ退官した検察官 | ゆかり | やまおかてっしゅう 山岡鉄舟 | 1836年~1888年 | 東京都 墨田区 | 幕臣剣術家官僚首長 一刀正伝無刀流の開祖で、幕臣として江戸無血開城の立役者となった「幕末の三舟」の一人 | 出身者 | やましたとくお 山下徳夫 | 1919年~2014年 | 佐賀県 伊万里市 | 大臣議員実業家 内閣官房長官に就任するが、買春スキャンダルでわずか16日間で辞任した政治家・実業家 |
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