年表
原産地
原産地は、地中海沿岸、華南高地、中央アジアなど諸説ある。
縄文・弥生時代
中国から渡来し、この頃から日本に導入されていたとされる
『古事記』に記載があり、仁徳天皇陵からも大根の種子が発見されている。
室町時代
この頃、「だいこん」という名となったとされる
江戸時代初期
この頃には、「宮重だいこん」が栽培されていたとされる
宮重だいこんは、愛知県の春日町が発祥地とされ、宝永年間(1704年~1711年)・享保年間(1716年~1736年)の書物には記述があり、江戸時代初期には栽培されていたとされる。
この頃から、1945年(昭和20年)頃まで、尾張地方を中心に栽培される。
延宝年間(1673年~1681年)
この頃、将軍・徳川綱吉が尾張より種子を取り寄せ、上練馬村で栽培(「練馬だいこん」の始まり)
ただし、百姓の又六という者が、享保年間以後に発見したという説などもある。
18世紀初め
この頃には、「桜島だいこん」が栽培されていたとされる
『大和本草付録』(1709年)に記述があり、この頃には、栽培が行われていたと考えられる。
文政年間(1818年~1830年)
この頃、尾張から宮重だいこんが京都に導入される(「聖護院だいこん」の始まり)
尾張から金戒光明寺に二本の宮重だいこんが奉納され、その立派さに驚いた聖護院の篤農家・田中屋喜兵衛が大根を譲り受け栽培を始めたのが起源とされる。
(太くて短いものを選び続けたところ、現在のような丸い形になったとされる)
19世紀
この頃から秋田県で「松館しぼりだいこん」が栽培され始める
1923年(大正12年)
三浦半島で「三浦中生」系統(「三浦だいこん」)が完成
1902年(明治35年)に三浦郡農会が発足し、改良活動が盛んになる。このような中、地元の「高円房」と「練馬系」を交雑し、「三浦中生」が完成し、「三浦だいこん」となる。
(その後も改良が行われる)
昭和初期
この頃、「秋田だいこん」が育成される
秋田県の四ツ小屋村で栽培・選抜され、「秋田だいこん」が育成される(その後、品種改良した「改良秋田」なども育成される)
1945年(昭和20年)
これ以降、「宮重だいこん」は廃れていく
病気の蔓延、切干用の需要減少により、徐々に廃れ、一旦、消滅する。
1979年(昭和54年)
この年、「三浦だいこん」が不作
これにより、代替作物として導入された「青首だいこん」に取って替わられることになる。
1982年(昭和57年)
味も揃いもより改良された三浦だいこん「中葉」完成
1992年(平成4年)
「宮重だいこん」の保存会が設立
一旦、消滅した「宮重だいこん」であったが、保存会が設立され、保存・育成が行われている。
2006年(平成18年)
「秋田いぶりこまち」が登録
秋田だいこんが「秋田いぶりこまち」として登録される
ゆかりの地・施設
大根の歴史に関する施設・ゆかりの地です。
練馬大根碑
東京都練馬区には、練馬大根の発祥地に練馬大根碑が建立されている。
練馬大根碑(練馬区春日町4-16)
宮重大根発祥之地跡碑
宮重だいこんの発祥地とされる愛知県の春日町(現:清洲市)には、碑が建立されている。
宮重大根発祥之地跡碑(愛知県清須市春日宮重町)
参考
小崎格他監修「花図鑑 野菜+果物」
成瀬宇平「47都道府県・地野菜/伝統野菜百科」
柳原一成『近茶流宗家 柳原一成が選ぶ 日本の伝統野菜』
練馬区「練馬大根とは」
春日町「町の特産品 宮重大根」
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