年表
1916年(大正5年)
この年、佐野市で洋食店「ヱビス食堂」開業
洋食店だが中華料理も出しており、中国人コックがいた。
そこで修業した小川利三郎氏が、中国人コックから青竹踏みの製麺法を学ぶ。
1930年(昭和5年)
この年、小川利三郎氏が独立し、屋台の中華そば屋を始める
その後、「宝来軒」を構え、青竹踏みを店先で見せる商法が有名になる。
青竹踏み自体は珍しい製麺法ではないが、早くから機械製麺に切り替わる中、佐野ではこの製麺法が残り、佐野ラーメンとなる。
1985年(昭和60年)
この年、「佐野らーめん会」発足
ゴルフ客による口コミで評判となり、町おこしとして「佐野らーめん会」が生まれる。
参考
奥山忠政「文化麺類学・ラーメン篇」
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