年表
1892年(明治25年)
この年、中国人の陳平順氏が長崎にやって来る
親戚を頼り、福建省から長崎にやって来る
1899年(明治32年)
この年、陳平順氏が『四海樓』を開業
反物の行商を始め、資金が貯まると、唐人屋敷の入口付近の広馬場町に中華菜館兼旅館を開業
開業直後から、中国人向け(特に留学生のため)にボリュームと栄養のある安い麺料理を出す。
湯肉絲麺をアレンジし、ラードで炒めた豚肉・エビ・もやし・たまねぎ・椎茸・かまぼこなどを具材としたものであった。
これが、長崎の中華街でたちまち評判となる。
1903年(明治36年)
この年、一般メニューとなる
明治後期
この頃には、長崎市内にいくつものちゃんぽん屋が登場
1905年(明治38年)の東洋日之出新聞、1907年(明治40年)の『長崎県紀要』で、支那留学生の好物としてちゃんぽんが紹介され、市内に十数店のちゃんぽん屋があると記載。
大正時代
この頃には、ちゃんぽんは長崎名物となる
この頃には、『長崎案内』(1914年(大正3年))に、長崎名物最大流行の第一番として『支那うどん』が紹介されており、ちゃんぽんは長崎名物となっている
ここで「支那うどん」と紹介されているが、いつから「ちゃんぽん」と統一されて、言われるようになったのかは不明。
語源は諸説あるが、「ちゃんぽん」という言葉は、福建語の「チーバン」(ご飯を食べる)から来ているという説が有力である。
1974年(昭和49年)
この年、「リンガーハット」1号店が長崎市内にオープン
この後、リンガーハットはチェーン展開し、日本各地で長崎ちゃんぽんが食されるようになる。
2000年(平成12年)
7月 四海樓が「ちゃんぽん博物館」開設
店舗の立て直しを機に、「ちゃんぽん博物館」が開設される。
文献
長崎ちゃんぽんに関する文献・著書です。
ゆかりの地・施設
長崎ちゃんぽんの歴史に関する施設・ゆかりの地です。
ちゃんぽん博物館
長崎ちゃんぽんを生み出した「四海樓」がちゃんぽん博物館を開設している。
四海樓(長崎県長崎市松が枝町4−5)
参考
奥山忠政「文化麺類学・ラーメン篇」
四海樓「『四海樓の沿革」
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