山形県の政治家・官僚

概要

 山形県で生まれたり、山形県にゆかりのある政治家・官僚の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

  山形県の出身者・ゆかりのある人物全体については、「山形県の人物」をご覧ください。

一覧

名前出没年出身地概要
出身者

あだちみねいちろう

安達峰一郎
1869年~1934年山形県
山辺町
官僚裁判官

アジア系として初の常設国際司法裁判所の所長となった外交官

出身者

うえすぎもちのり

上杉茂憲
1844年~1919年山形県
米沢市
藩主首長議員

米沢藩13代藩主であり、沖縄県令として人材育成に力を入れると共に、税制改革や地方役人削減を行おうとするが政府反対で解任された人物

ゆかり

かとうこういち

加藤紘一
1939年~2016年愛知県
名古屋市
大臣議員

「宏池会のプリンス」と呼ばれ、防衛庁長官・内閣官房長官・自民党幹事長などを歴任するが、「加藤の乱」を起こした政治家

出身者

きよかわはちろう

清河八郎
1830年~1863年山形県
庄内町
志士

尊王攘夷派の志士を京都に呼び寄せたり、浪士組を結成し新選組・新徴組への流れを作るなどし「明治維新の魁」とも称される、庄内藩出身の幕末志士

出身者

くもいたつお

雲井龍雄
1844年~1871年山形県
米沢市
志士

維新前には薩摩藩の罪科を訴えた「討薩檄」を起草し、奥羽越列藩同盟の奮起を促すなどし、維新後に政府転覆の陰謀を企てたとして斬首刑となった志士

ゆかり

こいそくにあき

小磯國昭
1850年~1942年栃木県
宇都宮市
大臣軍人

太平洋戦争中に戦局の挽回を果たすため内閣総理大臣になった政治家・陸軍軍人

出身者

さかいのりつね

酒井了恒
1843年~1876年山形県
鶴岡市
藩士役人

戊辰戦争において庄内藩二番大隊を指揮し、連戦連勝の活躍を遂げ、新政府軍から「鬼玄蕃」と呼ばれた人物

出身者

すげさねひで

菅実秀
1830年~1903年山形県
鶴岡市
藩士官僚

西郷隆盛に師事し『南洲翁遺訓』を刊行するとともに、松ヶ岡開墾、「六十七銀行」(現:荘内銀行)の創立など、鶴岡の発展に尽力した人物

出身者

なかじょうまさつね

中條政恒
1841年~1900年山形県
米沢市
役人

安積の原野の開墾に尽力し、「安積開拓の父」と呼ばれる明治時代の行政官

出身者

はっとりたくしろう

服部卓四郎
1901年~1960年山形県
軍人

戦前はノモンハン事件などに関わり、戦後は再軍備研究を行う服部機関を発足させた帝国陸軍軍人・参謀

出身者

ひらたとうすけ

平田東助
1849年~1925年山形県
米沢市
大臣官僚議員藩士

山縣有朋の側近として知られ、産業組合法の制定などを行った明治・大正時代の政治家・官僚

出身者

ほんまとしお

本間利雄
1877年~1970年山形県
首長官僚警察官実業家

長野県知事としてブラジル移民の推進などを、山県知事として地方病撲滅などに尽力した内務官僚・実業家

ゆかり

みしまみちつね

三島通庸
1835年~1888年鹿児島県
鹿児島市
官僚

栃木県・福島県・山形県などの県令(現:県知事)として、土木工事を進め「土木県令」と呼ばれた内務官僚

出身者

みやぎこうぞう

宮城浩蔵
1852年~1893年山形県
天童市
学者議員

「明治法律学校」(現:明治大学)の創設者の一人で、「東洋のオルトラン」とも呼ばれた明治時代の刑法学者・政治家

出身者

ゆうきとよたろう

結城豊太郎
1877年~1951年山形県
南陽市
大臣議員銀行家

大蔵大臣や日銀総裁などを歴任した戦前の政治家・銀行家


 他の都道府県の出身者・ゆかりのある人物については、「人物の都道府県一覧」をご覧ください。

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