1976年没の人物

概要

 1976年(昭和51年)に死亡・亡くなった人物の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

一覧

名前出没年出身地概要

いいむらじょう

飯村穣
1888年~1976年茨城県
軍人

総力戦研究所において、「総力戦机上演習」を行い、開戦前に日本の敗戦を結論づけた帝国陸軍軍人

いしばししょうじろう

石橋正二郎
1889年~1976年福岡県
久留米市
実業家

タイヤメーカー「ブリヂストンタイヤ」(現:ブリヂストン)の創業者

おおくぼきよし

大久保清
1935年~1976年群馬県
高崎市
犯罪者

路上で自家用車から声をかけて誘った女性8人を相次いで殺害するという連続殺人事件を犯した犯人

おおたにけいじろう

大谷敬二郎
1897年~1976年滋賀県
軍人作家

東京憲兵隊隊長や東部憲兵隊司令官などを務め、アメリカ軍捕虜の殺害事件である「東京上野憲兵隊事件」に関与した帝国陸軍軍人・憲兵

おとまる

音丸
1906年~1976年東京都
港区
歌手

戦前の大正・昭和時代に活躍し、『船頭可愛や』『下田夜曲』『博多夜船』などのヒット曲を飛ばした歌手

かとうてつたろう

加藤哲太郎
1917年~1976年東京都
軍人

陸軍中尉として出征し、戦後に手記が『私は貝になりたい』として映画・ドラマ化された帝国陸軍軍人

かわさきひろこ

川崎弘子
1912年~1976年神奈川県
川崎市
女優

戦前に映画『天国に結ぶ恋』『人妻椿』などで主演し、トップスターとした活躍した女優

こばやしちよこ

小林千代子
1910年~1976年北海道
小樽市
歌手

『涙の渡り鳥』『利根の朝霧』『椿の丘』などのヒット曲を歌い、戦前に活躍した歌手

ささもりじゅんぞう

笹森順造
1886年~1976年青森県
弘前市
大臣議員教育者剣道家

教育者として「東奥義塾」の塾長、「青山学院」院長などを務めるとともに、その後、復員庁総裁・賠償庁長官などを歴任した政治家

さわだせつぞう

沢田節蔵
1884年~1976年鳥取県
岩美町
外交官

戦前に国際連盟の日本代表などを務めた外交官

しまもととおる

島本融
1904年~1976年京都府
城陽市
実業家銀行家官僚

初代頭取として「北海道銀行」を急成長させるとともに、「札幌市民交響楽団」(現:札幌交響楽団)の設立に尽力するなどを行った実業家・官僚

たけだたいじゅん

武田泰淳
1912年~1976年東京都
文京区
作家学者僧侶

第一次戦後派を代表する一人であり、『司馬遷』『ひかりごけ』『森と湖のまつり』などを著した小説家

たなかかいどう

田中塊堂
1896年~1976年岡山県
矢掛町
書家教育者

大字仮名の作品を多数発表し、それまで細字に限られていた仮名の表現領域を広めた書家

たなかしんいち

田中新一
1893年~1976年北海道
釧路市
軍人

太平洋戦争時、第18師団長・ビルマ方面軍参謀長などを務めた帝国陸軍軍人

だんかずお

檀一雄
1912年~1976年
都留市
作家

『火宅の人』『リツ子・その愛』『真説石川五右衛門』などを著し、「最後の無頼派」と呼ばれた小説家

とくがわよしちか

徳川義親
1886年~1976年東京都
文京区
議員学者

尾張徳川家第19代当主であり、戦前に虎狩りをしたことから「虎狩りの殿様」としても親しまれた政治家・植物学者

とりがいりさぶろう

鳥養利三郎
1887年~1976年徳島県
鳴門市
学者

日本の電気工学界の重鎮で、高電圧過渡現象の測定や高周波焼入に関する研究などで業績を上げた工学者

はらぐちちゅうじろう

原口忠次郎
1889年~1976年佐賀県
小城市
首長議員官僚技術者

神戸市長として、ポートアイランドなどの整備を行い、神戸市の発展に尽力した政治家・官僚

ひさいたえいじろう

久板栄二郎
1898年~1976年宮城県
岩沼市
劇作家脚本家

木下恵介監督映画『大曽根家の朝』、黒澤明監督映画『わが青春に悔なし』『白痴』などの脚本を手掛けた劇作家・脚本家

ふくだらんどう

福田蘭童
1905年~1976年茨城県
筑西市
演奏家作曲家

ラジオ番組『新諸国物語・笛吹童子』のテーマ曲なども手掛けるととも、結婚詐欺などその素行が批判された昭和の尺八奏者・作曲家


 他の年については、「年一覧」をご覧ください。

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