宮崎県の武将・武士

概要

 宮崎県で生まれたり、宮崎県にゆかりのある武将・武士の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

  宮崎県の出身者・ゆかりのある人物全体については、「宮崎県の人物」をご覧ください。

一覧

名前出没年出身地概要
ゆかり

いじゅういんただざね

伊集院忠真
1576年~1602年鹿児島県
武将

伊集院忠棟の嫡男で、島津氏の家臣だったが、「庄内の乱」で反旗を翻し、後に殺害された戦国武将

出身者

いとうすけたか

伊東祐兵
1559年~1600年宮崎県
大名武将藩主

島津氏の侵攻で日向から脱出、豊後や伊予に流れるが、豊臣秀吉に仕え、九州平定での案内役の功で、旧領の一部を取り戻した戦国大名

出身者

いとうよしすけ

伊東義祐
1512年~1585年宮崎県
大名武将

伊東氏の最盛期を築くが、島津義久に敗れた戦国大名・武将

出身者

いとうよします

伊東義益
1546年~1569年宮崎県
大名武将

伊東氏17代当主で、伊東義祐と共に伊東家の全盛期を築き、家臣・領民からも慕われていたが、病で早世した戦国大名

出身者

かいそううん

甲斐宗運
1515年~1583年宮崎県
武将

阿蘇氏の家臣で、大勢力の大友氏・龍造寺氏・島津氏の狭間で、阿蘇氏の生き残りに尽力した戦国武将

ゆかり

しまづいえひさ

島津家久
1547年~1587年鹿児島県
武将

島津貴久の四男で、沖田畷の戦いで龍造寺氏を打ち破り、戸次川の戦いで豊臣連合軍の先発隊に勝利するなどした戦国武将

ゆかり

しまづとよひさ

島津豊久
1570年~1600年鹿児島県
武将

島津家久の嫡男で、朝鮮の役・庄内の乱などで軍功を挙げるが、関ヶ原の戦いの島津の退き口で戦死した戦国武将

出身者

ふじえけんもつ

藤江監物
1687年~1731年宮崎県
藩士

岩熊井堰や用水路を作るが、その完成を見ずに讒言で投獄され獄死した延岡藩家老

ゆかり

やまだありのぶ

山田有信
1544年~1609年鹿児島県
武将

島津家の家臣で、高城の城主として、大友宗麟豊臣秀長の大軍を防いだ戦国武将


 他の都道府県の出身者・ゆかりのある人物については、「人物の都道府県一覧」をご覧ください。

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