佐賀県の武将・武士

概要

 佐賀県で生まれたり、佐賀県にゆかりのある武将・武士の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

  佐賀県の出身者・ゆかりのある人物全体については、「佐賀県の人物」をご覧ください。

一覧

名前出没年出身地概要
出身者

えだよししんよう

枝吉神陽
1822年~1862年佐賀県
学者教育者藩士

「義祭同盟」を結成し、副島種臣大隈重信江藤新平など多数の人材を輩出し、「佐賀の吉田松陰」とも称される国学者・佐賀藩

出身者

えとうしんぺい

江藤新平
1834年~1874年佐賀県
佐賀市
藩士大臣

明治時代に、士族による反乱である佐賀の乱を起した維新志士・政治家

出身者

おおきたかとう

大木喬任
1832年~1899年佐賀県
佐賀市
大臣議長首長官僚武士

明治時代初期に、戸籍法制定や法典編纂、近代的な学制を整備した政治家

出身者

おおくましげのぶ

大隈重信
1838年~1922年佐賀県
佐賀市
大臣議員藩士教育者

早稲田大学の創立者であり、内閣総理大臣として政党内閣を組織した政治家

ゆかり

おおともそうりん

大友宗麟
1530年~1587年大分県
大分市
大名武将

領土を拡大し最盛期には九州6か国を支配したが、島津家の侵攻の中、豊臣家の一大名となった戦国時代のキリシタン大名

出身者

おがわのぶとし

小河信俊
不明~1584年佐賀県
武将

龍造寺氏の家臣で、龍造寺政家のもとでは宿老となるが、沖田畷の戦いで討死した戦国武将

出身者

くましろかつとし

神代勝利
1511年~1565年佐賀県
武将

少弐氏の家臣で、何度も龍造寺氏と戦うが、川上峡合戦で敗北した戦国武将

出身者

こがこくどう

古賀穀堂
1778年~1836年佐賀県
佐賀市
学者藩士

意見書「済急封事」を提出し、藩政改革を訴えた幕末の朱子学者

出身者

さのつねたみ

佐野常民
1823年~1902年佐賀県
佐賀市
大臣議長藩士

佐賀の七賢人」の1人で、日本赤十字を設立した、明治時代の政治家

出身者

しまよしたけ

島義勇
1822年~1874年佐賀県
佐賀市
藩士官僚

札幌の都市整備を行い、「北海道開拓の父」と呼ばれた佐賀藩

ゆかり

しょうに ふゆひさ

少弐 冬尚
不明~1559年不明
大名武将

少弐氏17代当主で、家臣・龍造寺家兼などの助力で、少弐氏の再興を果たすが、龍造寺隆信と争い、自害した戦国大名

出身者

しょうにすけもと

少弐資元
1489年~1536年佐賀県
大名武将

度重なる大内氏の侵攻を受け、和議を結ぶが、実は謀略で自害に追い込まれた戦国大名

出身者

そえじまたねおみ

副島種臣
1828年~1905年佐賀県
佐賀市
大臣藩士

明治時代に、政体書の起草や民撰議院設立建白書の提出などを行った政治家

出身者

なべしまきよふさ

鍋島清房
1513年~不明佐賀県
武将

龍造寺氏の家臣で、田手畷の戦いで活躍し、龍造寺隆信の家督相続で後見人となった戦国武将

出身者

なべしまなおしげ

鍋島直茂
1538年~1618年佐賀県
佐賀市
武将

龍造寺隆信の家老として活躍した戦国時代の武将

ゆかり

なべしまなおまさ

鍋島直正
1815年~1871年東京都
藩主

幕末に、藩政改革や軍備の増強などを行い、佐賀藩を雄藩とし、「佐賀の七賢人」の一人とされる第10代佐賀藩主

ゆかり

みずのただくに

水野忠邦
1794年~1851年東京都
幕臣藩主大名

江戸時代後期に、唐津藩主・浜松藩主であったが、老中となり天保の改革を行うが失脚した大名

ゆかり

やまおかてっしゅう

山岡鉄舟
1836年~1888年東京都
墨田区
幕臣剣術家官僚首長

一刀正伝無刀流の開祖で、幕臣として江戸無血開城の立役者となった「幕末の三舟」の一人

出身者

りゅうぞうじたかのぶ

龍造寺隆信
1529年~1584年佐賀県
佐賀市
大名武将

戦国時代に肥前を統一し、一大勢力を誇ったが、沖田畷の戦いで戦死した戦国武将

出身者

りゅうぞうじまさいえ

龍造寺政家
1556年~1607年佐賀県
大名武将

父・龍造寺隆信が沖田畷の戦いで戦死し、その後島津氏に降るが、豊臣秀吉の九州征伐で肥前国の一部を安堵された戦国武将


 他の都道府県の出身者・ゆかりのある人物については、「人物の都道府県一覧」をご覧ください。

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