長野県の出身者・ゆかりのある武将・武士

概要

 長野県で生まれたり、長野県にゆかりのある武将・武士の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

一覧

名前出没年出身地概要
ゆかり

いしかわ かずまさ

石川 数正
1533年~1593年頃愛知県
大名武将
徳川家康の家臣であったが、小牧・長久手の戦いの後に出奔し豊臣秀吉に仕え、松本藩の初代藩主となった戦国武将
出身者

いでうら もりきよ

出浦 盛清
1546年~1623年長野県
坂城町
武将
武田氏に仕え、隠密の甲州透破(三ツ者)を統率し、武田氏滅亡後は真田昌幸・信之に仕えた武将
ゆかり

おがさわら ながきよ

小笠原 長清
1162年~1242年
北杜市
武将
武田信光・海野幸氏・望月重隆と並んで「弓馬四天王」と称され、源頼朝に仕えた平安・鎌倉時代の武将
出身者

おがさわら ながとき

小笠原 長時
1514年~1583年長野県
武将
信濃四大将の1人で、武田晴信の信濃侵攻で戦に敗れ、越後に落ち延びた戦国時代の武将
出身者

おがさわら ながむね

小笠原 長棟
1492年~1542年長野県
武将
小笠原貞忠を打倒、甲斐国に追放し、分裂していた小笠原氏を統一し、その最盛期を築いた戦国武将
ゆかり

おぶ とらまさ

飯富 虎昌
1504年~1565年
武将
武田信虎武田信玄に仕えた譜代の家老衆だが、義信事件に連座し切腹した戦国武将
出身者

おんだ たみちか

恩田 民親
1717年~1762年長野県
長野市
藩士
藩主・真田幸弘のもと、質素倹約の励行、贈収賄の禁止などの藩政改革を行った松代藩家老
ゆかり

きそ よしなか

木曾 義仲
1154年~1184年埼玉県
嵐山町
武将
以仁王の平氏打倒の令旨により挙兵し、平氏を破って入京するが、後白河法皇と不和となり、粟津の戦いで討たれた平安時代末期の武将
出身者

きそ よしまさ

木曽 義昌
1540年~1595年頃長野県
大名武将
武田家に仕えていたが武田勝頼に反旗を翻し、織田信長徳川家康に仕えた戦国武将
ゆかり

こうさか まさのぶ

高坂 昌信
1527年~1578年
笛吹市
武将
武田信玄武田勝頼に仕え、武田四天王の一人として数えられる譜代家老衆であるとともに、口述記録で『甲陽軍鑑』を残したとされる戦国武将
出身者

さくま しょうざん

佐久間 象山
1811年~1864年長野県
長野市
藩士学者教育者
門弟として吉田松陰勝海舟などの幕末の志士などを輩出するとともに、開国論を主張した学者・教育者
ゆかり

さなだ のぶつな

真田 信綱
1537年~1575年不明
武将
真田幸隆の嫡男で、武田家家臣として、父と共に信濃国や上野国を転戦するが、長篠の戦いで戦死した戦国武将
出身者

さなだ のぶゆき

真田 信之
1566年~1658年長野県
大名武将藩主
真田昌幸の長男で、関ヶ原の戦いで徳川川につき、初代上田藩松代藩主となった戦国武将
出身者

さなだ まさゆき

真田 昌幸
1547年~1611年長野県
大名武将
武田家家臣時代には「信玄の眼」とも言われ、その後、上田合戦で徳川軍を撃退した戦国大名・武将
出身者

さなだ ゆきたか

真田 幸隆
1513年~1574年長野県
武将
真田昌幸の父、真田幸村(信繁)の祖父であり、武田24将の一人として武田信玄に仕えた戦国武将
ゆかり

さなだ ゆきつら

真田 幸貫
1791年~1852年東京都
藩主
江戸時代後期に、殖産興業、産業開発、文武奨励などにも努めるなど、様々な藩政改革を行った松代藩第8代藩主
出身者

さなだ ゆきむら

真田 幸村
1567年~1615年長野県
武将
真田昌幸の次男で、豊臣家臣として大阪の陣で活躍した戦国・江戸時代の武将
出身者

すわ よりしげ

諏訪 頼重
1516年~1542年長野県
武将
武田勝頼の外祖父にあたり、上原城城主として諏訪を治めていたが、武田信玄に滅ぼされた戦国武将
出身者

すわ よりみつ

諏訪 頼満
1473年~1540年長野県
武将
高遠氏を降伏させるなどし、諏訪地方を統一・勢力を拡大させ、「諏訪氏中興の祖」と言われた戦国武将
ゆかり

せんごく ひでひさ

仙石 秀久
1552年~1614年岐阜県
坂祝町
大名武将藩主
豊臣秀吉の古くからの家臣であるが戸次川の戦いで大敗し改易され、その後に許され小諸藩主となった戦国大名・武将

 他の都道府県の出身者・ゆかりのある人物については、「人物の都道府県一覧」をご覧ください。

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