長野県の武将・武士

概要

 長野県で生まれたり、長野県にゆかりのある武将・武士の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

  長野県の出身者・ゆかりのある人物全体については、「長野県の人物」をご覧ください。

一覧

名前出没年出身地概要
出身者

あおやぎよりなが

青柳頼長
不明~1587年長野県
武将

武田家の家臣であったが、武田家滅亡後、上杉家・小笠原家の間にあり、小笠原貞慶により暗殺された戦国武将

ゆかり

いしかわかずまさ

石川数正
1533年~1593年頃愛知県
大名武将

徳川家康の家臣であったが、小牧・長久手の戦いの後に出奔し豊臣秀吉に仕え、松本藩の初代藩主となった戦国武将

出身者

いでうらもりきよ

出浦盛清
1546年~1623年長野県
坂城町
武将忍者

武田氏に仕え、隠密の甲州透破(三ツ者)を統率し、武田氏滅亡後は真田昌幸・信之に仕えた武将

ゆかり

いわきさだたか

岩城貞隆
1583年~1620年不明
大名武将

関ヶ原の戦い後に所領没収、岩城家再興を嘆願し、信濃中村藩初代藩主となった戦国大名

出身者

おがさわらさだよし

小笠原貞慶
1546年~1595年長野県
武将

塩尻峠の戦いで武田氏に敗れ、諸国を放浪、足利氏・織田氏・徳川氏に仕え、深志城主として旧領を取り戻した戦国武将

ゆかり

おがさわらただまさ

小笠原忠真
1596年~1667年茨城県
古河市
大名武将藩主

小笠原秀政の子で松本藩主を継承し、その信から、西国の押さえとして、明石藩主・小倉藩主となった人物

ゆかり

おがさわらながきよ

小笠原長清
1162年~1242年
北杜市
武将

武田信光・海野幸氏・望月重隆と並んで「弓馬四天王」と称され、源頼朝に仕えた平安・鎌倉時代の武将

出身者

おがさわらながとき

小笠原長時
1514年~1583年長野県
武将

信濃四大将の1人で、武田晴信の信濃侵攻で戦に敗れ、越後に落ち延びた戦国時代の武将

出身者

おがさわらながむね

小笠原長棟
1492年~1542年長野県
武将

小笠原貞忠を打倒、甲斐国に追放し、分裂していた小笠原氏を統一し、その最盛期を築いた戦国武将

ゆかり

おばたまさもり

小幡昌盛
1534年~1582年不明
武将

武田二十四将の一人で、高坂昌信を補佐し、第4次川中島の戦いなどで活躍した戦国武将

出身者

おばなさくすけ

小花作助
1829年~1901年長野県
幕臣役人

小笠原諸島を調査し、領有の基礎を築くとともに、島民の日本帰化を促進し、小笠原諸島の初期統治に尽力した人物

ゆかり

おぶとらまさ

飯富虎昌
1504年~1565年
武将

武田信虎武田信玄に仕えた譜代の家老衆だが、義信事件に連座し切腹した戦国武将

出身者

おんだたみちか

恩田民親
1717年~1762年長野県
長野市
藩士

藩主・真田幸弘のもと、質素倹約の励行、贈収賄の禁止などの藩政改革を行った松代藩家老

出身者

きそよしあり

木曽義在
1493年~1558年長野県
武将

木曽谷の経済開発などを行い、木曽谷の地域支配を確立した戦国時代の国人

ゆかり

きそよしなか

木曾義仲
1154年~1184年埼玉県
嵐山町
武将

以仁王の平氏打倒の令旨により挙兵し、平氏を破って入京するが、後白河法皇と不和となり、粟津の戦いで討たれた平安時代末期の武将

出身者

きそよしまさ

木曽義昌
1540年~1595年頃長野県
大名武将

武田家に仕えていたが武田勝頼に反旗を翻し、織田信長徳川家康に仕えた戦国武将

出身者

きそよしやす

木曽義康
1514年~1579年長野県
武将

武田晴信の信濃侵攻にあたり、武田家に臣従し、武田家の親族衆として飛騨の三木家を撃退するなどした戦国武将

ゆかり

こうさかまさのぶ

高坂昌信
1527年~1578年
笛吹市
武将

武田信玄・武田勝頼に仕え、武田四天王の一人として数えられる譜代家老衆であるとともに、口述記録で『甲陽軍鑑』を残したとされる戦国武将

出身者

さくましょうざん

佐久間象山
1811年~1864年長野県
長野市
藩士学者教育者

門弟として吉田松陰勝海舟などの幕末の志士などを輩出するとともに、開国論を主張した学者・教育者

ゆかり

さなだのぶつな

真田信綱
1537年~1575年不明
武将

真田幸隆の嫡男で、武田家家臣として、父と共に信濃国や上野国を転戦するが、長篠の戦いで戦死した戦国武将


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