1951年没の人物

概要

 1951年(昭和26年)に死亡・亡くなった人物の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

一覧

名前出没年出身地概要

えんどうあらた

遠藤新
1889年~1951年福島県
新地町
画家建築家

フランク・ロイド・ライトの高弟として知られ、「自由学園明日館」「旧山邑邸」などを手掛けた建築家

おたかひさただ

尾高尚忠
1911年~1951年東京都
音楽家

戦前に、ウィーン交響楽団やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団など海外で活躍し、帰国後、専任で「新交響楽団」(現:NHK交響楽団)の指揮をとった指揮者

おだいらなみへい

小平浪平
1874年~1951年栃木県
栃木市
実業家技術者

国産初の5馬力誘導電動機を完成させた、電気機器メーカー「日立製作所」の創業者

かわだ りょうきち

川田 龍吉
1856年~1951年高知県
高知市
実業家

アイリッシュ・コブラーという品種のジャガイモ(後の「男爵いも」)を北海道に導入した実業家

きたわきのぼる

北脇昇
1901年~1951年愛知県
名古屋市
画家

『クォ・ヴァディス』『空港』など、シュルレアリスムの影響を受けながら、日本的な独自の作風で知られた画家

くまがいさんたろう

熊谷三太郎
1871年~1951年福井県
敦賀市
実業家銀行家議長議員

ゼネコン「熊谷組」の創設者で、第五十七銀行、中越銀行頭取、敦賀セメント社長なども務めた実業家・政治家

こがはるいち

古賀春一
1882年~1951年佐賀県
実業家

「大日本炭砿」の経営など、戦前に多くの炭鉱事業に携わった実業家

さとうぎりょう

佐藤義亮
1878年~1951年秋田県
仙北市
実業家

明治時代に、文芸雑誌『新潮』を創刊し、出版社「新潮社」を創業した実業家

しではらきじゅうろう

幣原喜重郎
1872年~1951年大阪府
門真市
大臣議長議員外交官

戦前は「幣原外交」と呼ばれる国際協調路線をとった外相であり、戦後、内閣総理大臣になった人物

しまづげんぞう

島津源蔵 (2代)
1869年~1951年京都府
京都市
実業家発明家

国産初の医療用X線装置などを開発し、日本の十大発明家の一人とされる精密機器メーカー「島津製作所」の2代目社長

しらいまつじろう

白井松次郎
1877年~1951年京都府
京都市
実業家

弟の大谷竹次郎とともに興行会社「松竹」を創業し、明治時代の興行界に近代的なシステムを導入した実業家

ていめいこうごう

貞明皇后
1884年~1951年東京都
千代田区
皇族

大正天皇の皇后、昭和天皇の母で、蚕糸業の奨励、救らい事業などに尽力した人物

とおやまいくぞう

遠山郁三
1877年~1951年岐阜県
学者

連圏状粃糠疹を新疾患として報告、皮膚科領域に生化学的研究を取り入れるなどを行った医学者

ながいたかし

永井隆
1908年~1951年島根県
松江市
作家医者

自らの被爆体験を綴った『長崎の鐘』『この子を残して』などを著した随筆家・医学者

はやしふみこ

林芙美子
1903年~1951年不明
作家詩人

代表作『放浪記』をはじめ、『清貧の書』『めし』などを著した小説家

はらたみき

原民喜
1905年~1951年広島県
広島市
作家詩人

被爆体験をもとに手掛けた『夏の花』で有名な小説家・詩人

ほづみしげとお

穂積重遠
1883年~1951年東京都
学者

東京帝国大学教授や最高裁判所判事などを務め、「日本家族法の父」と言われる戦前の法学者

やのつねた

矢野恒太
1866年~1951年岡山県
岡山市
実業家

保険会社「第一生命保険」の創業者であり、日本における生命保険の基礎を築いた実業家

やまぐちきちろべえ

山口吉郎兵衛(4代)
1883年~1951年大阪府
大阪市
実業家銀行家

山口財閥の当主であり、「山口銀行」「大阪貯蓄銀行」「尼崎共立銀行」などの頭取などを務め、美術品収集家としても知られる実業家

ゆうきとよたろう

結城豊太郎
1877年~1951年山形県
南陽市
大臣議員銀行家

大蔵大臣や日銀総裁などを歴任した戦前の政治家・銀行家


 1951年に生まれた人物については、「1951年生まれの人物」をご覧ください。

 他の年については、「年一覧」をご覧ください。

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