愛媛県の武将・武士

概要

 愛媛県で生まれたり、愛媛県にゆかりのある武将・武士の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

  愛媛県の出身者・ゆかりのある人物全体については、「愛媛県の人物」をご覧ください。

一覧

名前出没年出身地概要
ゆかり

かとうよしあき

加藤嘉明
1563年~1631年愛知県
西尾市
大名武将

賤ヶ岳の七本槍の1人で、松山藩・会津藩の初代藩主となった戦国大名・武将

出身者

かねこもといえ

金子元宅
1551年~1585年愛媛県
武将

長宗我部元親に仕え、羽柴秀吉の四国攻めの際に、小早川・毛利軍との圧倒的な兵力差がありながら、戦いを挑み、討死にした戦国武将

出身者

こうのみちなお

河野通直
1564年~1587年愛媛県
大名武将

小早川隆景に降伏し滅亡した河野家最後の当主

出身者

こうのみちのぶ

河野通宣
1522年~1581年愛媛県
大名武将

伊予河野氏の当主であったが、大友氏・一条氏の侵攻、家臣の謀反の内憂外患の中、家督を譲り隠居した戦国大名・武将

出身者

さいおんじきんひろ

西園寺公広
1537年~1588年愛媛県
武将

伊予西園寺氏8代当主であったが、長宗我部元親小早川隆景に降伏し、最後には豊臣秀吉の家臣により謀殺された戦国武将

出身者

たけうちりゅうざえもん

竹内立左衛門
1741年~1794年愛媛県
藩士

江戸時代中期に、加茂川・中山川両河口部の干拓を行い、禎瑞新田を開いた西条藩士

出身者

たけだあやさぶろう

武田斐三郎
1827年~1880年愛媛県
大洲市
学者軍人教育者幕臣藩士

幕末に函館の五稜郭の設計などを行い、維新後は日本軍の近代化に尽力した洋学者・陸軍軍人

ゆかり

だてむねなり

伊達宗城
1818年~1892年東京都
藩主大臣外交官

宇和島藩主として藩政改革を行い、幕政では公武合体を進め、明治維新後は、日清修好条規に調印した人物

ゆかり

とうどうたかとら

藤堂高虎
1556年~1630年滋賀県
甲良町
大名武将藩主

何度も主君を変えると共に、築城の名手として多くの城を手掛けた戦国時代の武将

ゆかり

とくがわはるさだ

徳川治貞
1728年~1789年不明
藩主

熊本藩主・細川重賢と並び「紀州の麒麟、肥後の鳳凰」と賞された名君で、倹約などを奨励し紀州藩の財政再建に貢献した江戸時代中期の紀州藩主・西条藩主

出身者

どいきよよし

土居清良
1546年~1629年愛媛県
宇和島市
武将

西園寺十五将の1人とされ、日本最古の農書とされる『清良記』の主人公である戦国時代の武将

出身者

どいみちお

土居通夫
1837年~1917年愛媛県
宇和島市
実業家議員裁判官藩士

電力会社「大阪電灯」の社長をはじめ、数多くの企業の役員などを務め、五代友厚後の大阪財界最有力指導者として活躍した実業家

出身者

むらかみたけよし

村上武吉
1533年~1604年愛媛県
今治市
武将

厳島の戦いで毛利元就に加担し、毛利家の家臣団となるが、豊臣秀吉の海賊停止令で勢力を失った能島村上水軍の大将

出身者

むらかみみちやす

村上通康
1519年~1567年愛媛県
武将

河野家の家臣で、厳島の戦いで毛利元就陶晴賢が争ったとき、毛利軍に協力したことでも知られる村上水軍の大将

ゆかり

やんべきんより

山家公頼
1579年~1620年山形県
米沢市
藩士

江戸時代前期に、宇和島藩のお家騒動である和霊騒動で殺害された宇和島藩家老

ゆかり

わきざかやすはる

脇坂安治
1554年~1626年滋賀県
長浜市
大名武将藩主

賤ヶ岳の七本槍」の一人であり、洲本初代藩主・大洲藩初代藩主などとなった戦国大名・武将


 他の都道府県の出身者・ゆかりのある人物については、「人物の都道府県一覧」をご覧ください。

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