概要
1960年(昭和35年)に死亡・亡くなった人物の一覧を掲載しています(五十音順)
※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。
一覧
名前 | 出没年 | 出身地 | 概要 | あさぬまいねじろう 浅沼稲次郎 | 1898年~1960年 | 東京都 三宅村 | 議員 日本社会党書記長・委員長を歴任するが、その演説中に右翼少年に刺殺された政治家 | いとうでんしち 伊藤伝七(11代) | 1878年~1960年 | 三重県 四日市市 | 実業家議員 父・伊藤伝七(10代)の紡績会社を引き継ぐと共に、三岐鉄道の計画に携わるなど、四日市や北勢地方の発展に尽力した経営者 | かがわとよひこ 賀川豊彦 | 1888年~1960年 | 兵庫県 神戸市 | 活動家社会事業家議員 戦前より労働運動・農民運動などを行い、「スラム街の聖者」と称され、ノーベル平和賞候補ともなった社会運動家 | かわべとらしろう 河辺虎四郎 | 1890年~1960年 | 富山県 砺波市 | 軍人 戦後に特務機関「河辺機関」を結成した帝国陸軍軍人 | かんばみちこ 樺美智子 | 1937年~1960年 | 東京都 武蔵野市 | 活動家 60年安保で警察と衝突し亡くなった学生運動家 | きむらまさとみ 木村昌福 | 1891年~1960年 | 静岡県 静岡市 | 軍人 太平洋戦争で、「奇跡の作戦」といわれたキスカ島撤退作戦を指揮・成功させた帝国海軍軍人 | こぞのやすな 小園安名 | 1902年~1960年 | 鹿児島県 南さつま市 | 軍人 終戦時、徹底抗戦を訴えた厚木航空隊事件を起こした帝国海軍軍人 | こんどうじゅいちろう 近藤寿市郎 | 1870年~1960年 | 愛知県 田原市 | 議員首長 愛知県東三河地域を農業生産地に変えた豊川用水の構想発案者として知られる政治家 | ごとうとうすい 後藤桃水 | 1880年~1960年 | 宮城県 東松島市 | 歌手 大正時代に、全国民謡大会を開催・成功させ、「日本民謡の父」とも言われた民謡家 | ごとうよのすけ 後藤譽之助 | 1916年~1960年 | 東京都 墨田区 | 官僚評論家 経済企画庁の官僚として、経済白書の執筆に携わり、「もはや戦後ではない」という流行語も生み出した人物 | たかぎていじ 高木貞治 | 1875年~1960年 | 岐阜県 本巣市 | 学者 類体論において「高木の存在定理」の証明などを行い、第1回フィールズ賞選考委員を務めた数学者 | つねのはなかんいち 常ノ花寛市 | 1896年~1960年 | 岡山県 岡山市 | 力士 引退後に、蔵前国技館を建設するなど、戦後間もなく大相撲復興の基盤を築いた第31代横綱となった大相撲力士 | なかじまくまきち 中島久万吉 | 1873年~1960年 | 神奈川県 横浜市 | 大臣議員実業家 戦前に、古河コンツェルンで古河系企業の多角化を推し進め、その後、商工大臣になるが足利尊氏を讃美したとして辞任した実業家 | はっとりたくしろう 服部卓四郎 | 1901年~1960年 | 山形県 | 軍人 戦前はノモンハン事件などに関わり、戦後は再軍備研究を行う服部機関を発足させた帝国陸軍軍人・参謀 | ひのあしへい 火野葦平 | 1907年~1960年 | 福岡県 北九州市 | 作家 小説『麦と兵隊』などの戦争文学を著した作家 | ふじわらぎんじろう 藤原銀次郎 | 1869年~1960年 | 長野県 長野市 | 大臣議員実業家教育者 製紙会社「王子製紙」の社長であり「製紙王」とも呼ばれ、日本初の私立工業単科大学「藤原工業大学」の設立なども行った実業家・政治家 | もりしたのぶえ 森下信衛 | 1895年~1960年 | 愛知県 常滑市 | 軍人 日本海軍屈指の操艦の名手で、戦艦「榛名」「大和」などの艦長を務めた帝国海軍軍人 | やまぐちおとや 山口二矢 | 1943年~1960年 | 東京都 台東区 | 犯罪者 政党代表放送で演説中の日本社会党の党首を暗殺した浅沼稲次郎暗殺事件を起こした右翼少年 | わつじてつろう 和辻哲郎 | 1889年~1960年 | 兵庫県 姫路市 | 学者思想家 『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られ、和辻倫理学とも呼ばれる独自の倫理学を展開した哲学者・思想家 |
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