石川県の武将・武士

概要

 石川県で生まれたり、石川県にゆかりのある武将・武士の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

  石川県の出身者・ゆかりのある人物全体については、「石川県の人物」をご覧ください。

一覧

名前出没年出身地概要
出身者

おおつきでんぞう

大槻伝蔵
1703年~1748年石川県
藩士

江戸時代に加賀藩で起こったお家騒動である加賀騒動の中心的な人物である加賀藩

ゆかり

さくまもりまさ

佐久間盛政
1554年~1583年愛知県
名古屋市
武将

織田信長の家臣で、柴田勝家の与力などとして、加賀の一向一揆戦で活躍した戦国時代の猛将

ゆかり

たいらのとものり

平知度
不明~1183年不明
武将

将軍の一人として、源頼朝討伐にあたるが、富士川の戦いで敗北し、倶利伽羅峠の戦いで討死した武将

ゆかり

たかやまうこん

高山右近
1552年~1615年大阪府
大名武将

織田家・豊臣家などに仕えたが、バテレン追放令を受けすべての領地を捨てた戦国時代のキリシタン大名

出身者

とがしまさちか

富樫政親
1455年~1488年石川県
大名武将

富樫氏21代当主で、一向一揆で攻め滅ぼされた、室町時代の守護大名

出身者

とがしやすいえ

富樫泰家
不明~不明石川県
武将

倶利伽羅峠の戦いで武功を挙げ、加賀守護となるが、源頼朝が追っていた源義経を見逃したとして守護をはく奪された武将

出身者

ぬくいふささだ

温井総貞
不明~1555年石川県
武将

畠山七人衆の筆頭で、当主の畠山義続畠山義綱を抑え、権力を振るうが、実権回復を目指す畠山義綱などに謀殺された戦国武将

出身者

はたけやまよしつぐ

畠山義続
不明~1590年石川県
大名武将

能登畠山氏の第8代当主だが、家臣の畠山七人衆に実権を握られ、永禄九年の政変で能登を追放された戦国大名

出身者

はたけやまよしつな

畠山義綱
不明~1594年石川県
大名武将

能登畠山氏の第9代当主で内乱を鎮め、大名専制支配を確立するが、その反発から、永禄九年の政変で能登を追放された戦国大名

出身者

はたけやまよしのり

畠山義慶
1554年~1574年石川県
大名武将

祖父・畠山義続、父・畠山義綱が重臣たちによって追放された後、傀儡として擁立された戦国大名

出身者

はたけやまよしふさ

畠山義総
1491年~1545年石川県
大名武将

名城七尾城を築城するなど、能登畠山氏の全盛期を築いた戦国時代の大名・武将

ゆかり

ほうじょううじくに

北条氏邦
1548年~1597年神奈川県
武将

北条氏康の子で、鉢形城主として、北条氏の上野進出に中心的な役割を果たすが、小田原征伐で降伏した戦国武将

ゆかり

まえだけいじ

前田慶次
不明~不明不明
武将

前田家・上杉家に仕え、その多くの逸話から「天下御免の傾奇者」と言われた戦国武将

ゆかり

まえだつなのり

前田綱紀
1643年~1724年東京都
藩主

十村制度の整備、非人小屋の設置、改作法の制定などを行い、江戸時代前期の名君の一人として讃えられる加賀藩藩主

ゆかり

まえだとしいえ

前田利家
1538年~1599年愛知県
名古屋市
大名武将

戦国時代に織田信長豊臣秀吉に仕え、豊臣政権の五大老の一人となった加賀藩主前田氏の祖

出身者

まえだとしつぐ

前田利次
1617年~1674年石川県
金沢市
藩主

加賀藩主・前田利常の次男で、藩法「小松御条目」の制定、新田開発・治水工事、城下町の建設などを行ない、藩政の基礎を固め初代富山藩

ゆかり

まえだとしつね

前田利常
1594年~1658年不明
大名武将藩主

前田利家の四男で、藩農政の基本となる改作仕法の実施、大聖寺藩の分封などを行った加賀藩第2代藩主

ゆかり

むさしぼうべんけい

武蔵坊弁慶
不明~1189年和歌山県
僧侶武士

五条の大橋で源義経と出会い、郎党として仕え、最後まで忠臣として源義経を守った僧兵

ゆかり

やまぐちむねなが

山口宗永
1545年~1600年不明
武将

豊臣秀吉に仕え、加賀国大聖寺城主となったが、関ヶ原の戦いで西軍に与し、大聖寺城を落とされ自害した戦国武将


 他の都道府県の出身者・ゆかりのある人物については、「人物の都道府県一覧」をご覧ください。

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