新潟県の武将・武士

概要

 新潟県で生まれたり、新潟県にゆかりのある武将・武士の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

  新潟県の出身者・ゆかりのある人物全体については、「新潟県の人物」をご覧ください。

一覧

名前出没年出身地概要
出身者

あおとぶへいじ

青砥武平治
1713年~1788年新潟県
村上市
藩士

江戸時代中期に、鮭の回帰性を発見し、「種川の制」を行った村上藩

出身者

いろべかつなが

色部勝長
1493年頃~1569年新潟県
武将

上杉家の宿老で、勇将として川中島の戦いなど数々の戦いで武功を挙げるが、本庄繁長の乱で討死した戦国武将

出身者

うえすぎかげかつ

上杉景勝
1556年~1623年新潟県
南魚沼市
大名武将藩主

御館の乱で勝利し上杉謙信の跡を継ぎ、豊臣政権の五大老の一人となったが、関ヶ原の戦いで西軍に組し、米沢に転封となり初代米沢藩主となった戦国大名

ゆかり

うえすぎかげとら

上杉景虎
1554年~1579年神奈川県
小田原市
武将

北条氏康の七男で、上杉謙信死後の御館の乱で上杉景勝と家督争いを行い敗れ自害した戦国武将

出身者

うえすぎけんしん

上杉謙信
1530年~1578年新潟県
上越市
大名武将

戦国時代に越後を支配し「越後の龍」と呼ばれた大名・武将

出身者

うえすぎのりざね

上杉憲実
不明~1590年新潟県
大名武将

永享の乱を戦い、足利学校や金沢文庫を再興した室町時代中期の関東管領・守護大名

ゆかり

うえすぎのりまさ

上杉憲政
1523年~1579年不明
大名武将

関東管領で上野国を治めていたが、武田氏・北条氏に攻められ、長尾景虎を頼り越後に落ち延び、御館の乱で上杉景虎につき殺害された人物

出身者

うさみさだみつ

宇佐美定満
1489年~1564年新潟県
武将

宇佐美流軍学の祖で、上杉謙信に仕えるが、長尾政景を舟遊びに誘い溺死した戦国武将

出身者

おおくまともひで

大熊朝秀
不明~1582年新潟県
武将

上杉謙信の家臣だったが、上杉謙信の出家騒動で反旗を翻し、武田家の家臣となった戦国武将

出身者

おぎたながしげ

荻田長繁
1562年~1641年新潟県
武将

御館の乱で上杉景勝につき活躍するが、後に上杉景勝の怒りを買い、追放された戦国武将

出身者

かきざきかげいえ

柿崎景家
1513年頃~1574年新潟県
武将

上杉家に仕え、上杉謙信の信頼が厚く、武功のみならず、内政や外交でも活躍した戦国武将

出身者

かわいつぎのすけ

河井継之助
1827年~1868年新潟県
長岡市
藩士

風紀粛正・農政改革・兵制改革など藩の改革を行うと共に、北越戦争で新政府軍と戦った幕末の長岡藩士

ゆかり

かわだながちか

河田長親
不明~1581年滋賀県
武将

上杉謙信に見出され家臣となり、智勇兼備の武将として、奉行職や越中攻略などで活躍した戦国武将

出身者

きたじょうかげひろ

北条景広
1548年~1579年新潟県
武将

父・北条高広と共に厩橋城で上杉謙信に仕えていたが、御館の乱で上杉景虎を支持し死去した戦国武将

出身者

きたじょうたかひろ

北条高広
不明~不明新潟県
武将

武勇に優れ上杉家に仕えていたが、武田家や北条家に寝返り、上杉家に二度帰参した戦国武将

ゆかり

くすもとまさたか

楠本正隆
1838年~1902年長崎県
大村市
議長議員藩士

新潟県令として、日本初の国立市民公園「白山公園」の開設、「第四国立銀行」設立などを行い、名地方官と言われた人物

出身者

こばやしとらさぶろう

小林虎三郎
1828年~1877年新潟県
藩士

「米百俵」の逸話で知られ、長岡藩大参事などを務めた長岡藩士

出身者

こやましょうたろう

小山正太郎
1857年~1916年新潟県
長岡市
画家教育者藩士

明治美術会の創設に参画するとともに、画塾「不同舎」を主宰し後進の育成にあたった明治時代の画家・教育者

出身者

さいとうとものぶ

斎藤朝信
1527年頃~1592年頃新潟県
武将

上杉謙信に仕え、数々の武功を挙げ、その武勇から「越後の鍾馗」とも呼ばれた戦国武将

ゆかり

さかきばらまさみね

榊原政岑
1713年~1743年兵庫県
藩主

徳川吉宗の倹約令を無視して贅を尽くしたことから、咎められ、越後高田に転封となった姫路藩


 他の都道府県の出身者・ゆかりのある人物については、「人物の都道府県一覧」をご覧ください。

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