概要
1866年(慶応元年/慶応2年)に誕生・生まれた人物の一覧を掲載しています(五十音順)
※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、生没年は西暦で掲載しています。
一覧
| 名前 | 生没年 | 場所 | 概要 | |
|---|---|---|---|---|
いしい きくじろう 石井 菊次郎 | 1866年~1945年 | 大臣議員外交官 戦前、アメリカと中国での権益に関する「石井・ランシング協定」を締結した外交官。 | ||
いしかわ ごいち 石川 伍一 | 1866年~1894年 | スパイ 対清作戦上の上陸に関する調査で功績を上げるが、日清戦争時に清の官憲に見つかり銃殺された人物。 | ||
おだか じろう 尾高 次郎 | 1866年~1920年 | 実業家銀行家 「南洋殖産」を設立し南洋諸島の開拓、「武州銀行」(現:埼玉りそな銀行)の設立などを行った明治・大正時代の実業家・銀行家。 | ||
かねこ なおきち 金子 直吉 | 1866年~1944年 | 実業家 明治・大正時代に、丁稚奉公から身を起こし、大番頭として鈴木商店を一大商社にした実業家。 | ||
かわぐち えかい 河口 慧海 | 1866年~1945年 | 僧侶冒険家学者 明治時代に、梵語原典やチベット語訳仏典の入手を決意し、日本人で初めてチベットに渡った僧侶・探検家・仏教学者。 | ||
くろだ せいき 黒田 清輝 | 1866年~1924年 | 画家教育者議員 フランスでラファエル・コランに学び、帰国後は明るい外光表現を日本の洋画に導入。『湖畔』『智・感・情』などを制作し、洋画家として初の帝室技芸員に選出。「白馬会」の結成や西洋画教育を通じ、近代洋画の発展に尽力した画家・教育者。 | ||
こいけ くにぞう 小池 国三 | 1866年~1925年 | 実業家銀行家 後の山一證券の源流となる「小池国三商店」や「小池銀行」などを創業した明治・大正時代の実業家。 | ||
こにしき やそきち 小錦 八十吉 | 1866年~1914年 | 力士 立合いの素早さと突き押し、俊敏な動きで知られ、第17代横綱となった明治時代の大相撲力士。 | ||
さいごう しろう 西郷 四郎 | 1866年~1922年 | 柔道家 小説『姿三四郎』のモデルとされる明治時代の柔道家。 | ||
さいとう ういちろう 斎藤 宇一郎 | 1866年~1926年 | 農家議員首長 乾田馬耕や耕地整理などの普及に尽力し、秋田県農業の近代化に貢献した人物。 | ||
すぎうら けんぞう 杉浦 健造 | 1866年~1933年 | 医者 山梨県で流行した地方病(日本住血吸虫症)の研究を行い、その治療・撲滅に尽力した戦前の医師。 | ||
そん ぶん 孫 文 | 1866年~1925年 | 政治家活動家 初代中華民国臨時大総統であり、中国では「国父」と呼ばれる革命家・政治家。 | ||
てらさき こうぎょう 寺崎 広業 | 1866年~1919年 | 画家 明治・大正時代に水彩画・大和絵・南画の折衷による新たな風景画を模索し、『秋苑』『大仏開眼』などを制作した画家。 | ||
どひ けいぞう 土肥 慶蔵 | 1866年~1931年 | 学者 戦前に皮膚科学を日本に導入し、「日本皮膚科学会」の発足などを行った医学者。 | ||
ないとう こなん 内藤 湖南 | 1866年~1934年 | 学者ジャーナリスト | ||
なかがわ こじゅうろう 中川 小十郎 | 1866年~1944年 | 議員官僚教育者実業家 明治時代に、「京都法政学校」(現:立命館大学)を創立した政治家・文部官僚・実業家。 | ||
なかむら ふせつ 中村 不折 | 1866年~1943年 | 画家書家 夏目漱石『吾輩は猫である』の挿絵画家として知られ、洋画界・書道界の両方で活躍した画家・書家。 | ||
にのみや ちゅうはち 二宮 忠八 | 1866年~1936年 | 研究家 明治時代に、人間が乗れる「飛行器」の原理を考案した研究者。 | ||
ふくしま たいぞう 福島 泰蔵 | 1866年~1905年 | 軍人 歩兵第5連隊が遭難する中、八甲田山雪中行軍を成功させた明治時代の帝国陸軍軍人。 | ||
ふじい けんたろう 藤井 健次郎 | 1866年~1952年 | 学者 染色体のらせん構造を発見し、染色体の構造について説を唱えた戦前の植物学者・遺伝学者。 | ||
1866年に亡くなった人物については、「1866年没の人物」をご覧ください。
他の年については、「年一覧」をご覧ください。
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