山形県の武将・武士

概要

 山形県で生まれたり、山形県にゆかりのある武将・武士の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

  山形県の出身者・ゆかりのある人物全体については、「山形県の人物」をご覧ください。

一覧

名前出没年出身地概要
ゆかり

うえすぎかげかつ

上杉景勝
1556年~1623年新潟県
南魚沼市
大名武将藩主

御館の乱で勝利し上杉謙信の跡を継ぎ、豊臣政権の五大老の一人となったが、関ヶ原の戦いで西軍に組し、米沢に転封となり初代米沢藩主となった戦国大名

出身者

うえすぎもちのり

上杉茂憲
1844年~1919年山形県
米沢市
藩主首長議員

米沢藩13代藩主であり、沖縄県令として人材育成に力を入れると共に、税制改革や地方役人削減を行おうとするが政府反対で解任された人物

ゆかり

うえすぎようざん

上杉鷹山
1751年~1822年東京都
港区
藩主

藩政改革や財政削減などを実施した江戸時代の米沢藩

出身者

かたくらかげつな

片倉景綱
1557年~1615年山形県
武将

伊達政宗を支え、伊達氏発展の基礎を築き上げ、天下の名陪臣と称された武将

出身者

きよかわはちろう

清河八郎
1830年~1863年山形県
庄内町
志士

尊王攘夷派の志士を京都に呼び寄せたり、浪士組を結成し新選組・新徴組への流れを作るなどし「明治維新の魁」とも称される、庄内藩出身の幕末志士

出身者

くもいたつお

雲井龍雄
1844年~1871年山形県
米沢市
志士

維新前には薩摩藩の罪科を訴えた「討薩檄」を起草し、奥羽越列藩同盟の奮起を促すなどし、維新後に政府転覆の陰謀を企てたとして斬首刑となった志士

出身者

さかいただずみ

酒井忠篤
1853年~1915年山形県
藩主

新政府軍に対して連戦連勝の中、降伏した庄内藩

出身者

さかいのりつね

酒井了恒
1843年~1876年山形県
鶴岡市
藩士役人

戊辰戦争において庄内藩二番大隊を指揮し、連戦連勝の活躍を遂げ、新政府軍から「鬼玄蕃」と呼ばれた人物

出身者

すげさねひで

菅実秀
1830年~1903年山形県
鶴岡市
藩士官僚

西郷隆盛に師事し『南洲翁遺訓』を刊行するとともに、松ヶ岡開墾、「六十七銀行」(現:荘内銀行)の創立など、鶴岡の発展に尽力した人物

出身者

だいほうじよしうじ

大宝寺義氏
1551年~1583年山形県
大名武将

庄内を支配するが、度重なる兵役などから「悪屋形」とあだ名され、家臣の反乱で自害した戦国大名

ゆかり

だててるむね

伊達輝宗
1544年~1585年福島県
桑折町
大名武将

伊達政宗の父で、二本松義継に捕らえられ、救出にむかった伊達勢の銃撃で亡くなった戦国大名・武将

ゆかり

だてはるむね

伊達晴宗
1519年~1578年福島県
大名武将

父・伊達稙宗と争い家督を相続、奥州探題になるなどしたが、子の伊達輝宗と争い隠居した戦国大名

出身者

だてまさむね

伊達政宗
1567年~1636年山形県
米沢市
大名武将

戦国時代に出羽国・陸奥国を治め、仙台の基礎を築いた戦国大名・武将

ゆかり

なおえかねつぐ

直江兼続
1560年~1620年新潟県
南魚沼市
武将藩士

戦国時代から江戸時代にかけて、上杉家の家臣として、上杉謙信上杉景勝に仕えた名将

出身者

はせくらつねなが

支倉常長
1571年~1622年山形県
米沢市
武将藩士

江戸時代に慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパに渡航し、ローマ貴族・フランシスコ派カトリック教徒となった伊達藩

出身者

ひらたとうすけ

平田東助
1849年~1925年山形県
米沢市
大臣官僚議員藩士

山縣有朋の側近として知られ、産業組合法の制定などを行った明治・大正時代の政治家・官僚

ゆかり

ほしなまさゆき

保科正之
1611年~1673年東京都
大名藩主

3代将軍徳川家光の異母弟で、高遠藩主・山形藩主・会津藩主を務め、名君と称えられる江戸時代の大名

ゆかり

まえだけいじ

前田慶次
不明~不明不明
武将

前田家・上杉家に仕え、その多くの逸話から「天下御免の傾奇者」と言われた戦国武将

出身者

もがみよしあき

最上義光
1546年~1614年山形県
大名武将藩主

戦国時代から江戸時代にかけて、最上家の全盛期を築き上げた山形藩の初代藩主

出身者

やんべきんより

山家公頼
1579年~1620年山形県
米沢市
藩士

江戸時代前期に、宇和島藩のお家騒動である和霊騒動で殺害された宇和島藩家老


 他の都道府県の出身者・ゆかりのある人物については、「人物の都道府県一覧」をご覧ください。

タイトルとURLをコピーしました