滋賀県の武将・武士

概要

 滋賀県で生まれたり、滋賀県にゆかりのある武将・武士の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

  滋賀県の出身者・ゆかりのある人物全体については、「滋賀県の人物」をご覧ください。

一覧

名前出没年出身地概要
ゆかり

あけちひでみつ

明智秀満
不明~1582年不明
武将

明智光秀の重臣で、本能寺の変後に安土城を守っていたが、光秀の敗北を知り自害した戦国武将

出身者

あさのながあきら

浅野長晟
1586年~1632年滋賀県
大津市
武将藩主

浅野長政の次男で、足守藩主、和歌山藩第2代藩主、広島藩初代藩主などとなった人物

出身者

あさのよしなが

浅野幸長
1576年~1613年滋賀県
大津市
大名武将藩主

浅野長政の長男で、甲斐国の領主となるが豊臣秀次を擁護し配流となり、その後関ヶ原の戦いでの功で初代紀州藩主となった大名・武将

出身者

あざいすけまさ

浅井亮政
1491年~1542年滋賀県
武将

北近江の国人で京極氏の家臣であったが、京極氏の内紛に乗じ、北近江の支配を確立した戦国武将

出身者

あざいながまさ

浅井長政
1545年~1573年滋賀県
近江八幡市
武将

戦国時代に北近江を支配し、浅井家の最盛期を築いたが、織田信長に滅ぼされた武将

出身者

あざいひさまさ

浅井久政
1526年~1573年滋賀県
大名武将

父・浅井亮政の跡を継ぐが、勢力の弱体化を招き、六角氏に従属することとなった戦国大名

出身者

あしかがよしはる

足利義晴
1511年~1550年滋賀県
近江八幡市
将軍武将

管領・細川高国に擁立され将軍になるが、細川高国の敗北後、地位が安定せず、入京・逃亡を繰り返した室町幕府第12代将軍

出身者

あつじさだゆき

阿閉貞征
不明~1582年滋賀県
武将

浅井家の家臣であったが、織田信長に降伏・臣下となり、山崎の戦いでは明智光秀に与し敗北・処刑された戦国武将

出身者

いいなおすけ

井伊直弼
1815年~1860年滋賀県
彦根市
幕臣藩主

幕末に幕府の大老として開国を推し進め、安政の大獄などを行い、桜田門外の変で暗殺された彦根藩

ゆかり

いいなおたか

井伊直孝
1590年~1659年静岡県
焼津市
大名武将藩士

白井藩主・彦根藩主を務め、大坂夏の陣でも活躍し、譜代大名の重鎮として幕府を支えた大名・武将

ゆかり

いいなおまさ

井伊直政
1561年~1602年静岡県
浜松市
大名武将

「徳川四天王」の1人で徳川家康に仕え、数々の戦功をあげ、高崎藩主・彦根藩主となった戦国大名・武将

出身者

いしだみつなり

石田三成
1560年~1600年滋賀県
長浜市
大名武将

豊臣政権の五奉行の一人で、関ヶ原の戦いの西軍の主導者である大名・武将

出身者

いそのかずまさ

磯野員昌
1523年~1590年滋賀県
武将

武勇に長け浅井家・織田家に仕えたが、織田信長に叱責され出奔した戦国武将

出身者

えんどうなおつね

遠藤直経
1531年~1570年滋賀県
米原市
武将

浅井長政の家臣で、勇兼備の謀将として知られたが、姉川の戦いで捕えられ斬首された戦国武将

出身者

おおたによしつぐ

大谷吉継
1559年~1600年滋賀県
大名武将

豊臣秀吉子飼いの武将で敦賀城主となり、関ヶ原の戦いで石田三成を支えた大名・武将

ゆかり

おだのぶなが

織田信長
1534年~1582年愛知県
大名武将

天下布武を掲げ、畿内を中心に多くの領地を支配し、全国統一の先駆けをなした戦国時代の大名・武将

出身者

かたぎりかつもと

片桐且元
1556年~1615年滋賀県
長浜市
武将藩主

賤ヶ岳の七本槍の1人であり豊臣家の直臣で初代竜田藩主となったが、方広寺鐘銘事件で徳川方に転じた戦国時代の大名・武将

出身者

かわだながちか

河田長親
不明~1581年滋賀県
武将

上杉謙信に見出され家臣となり、智勇兼備の武将として、奉行職や越中攻略などで活躍した戦国武将

出身者

がもううじさと

蒲生氏郷
1556年~1595年滋賀県
日野町
大名武将

豊臣秀吉に仕え、日野城主・松阪城主になり、最後は黒川城主として92万石の大名に出世した戦国武将

ゆかり

きょうごくたかきよ

京極高清
1460年~1538年頃不明
大名武将

京極家を二分した京極騒乱を治め、北近江を領したが、浅井亮政に敗れ、領土を失った戦国大名


 他の都道府県の出身者・ゆかりのある人物については、「人物の都道府県一覧」をご覧ください。

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