神奈川県の武将・武士

概要

 神奈川県で生まれたり、神奈川県にゆかりのある武将・武士の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

  神奈川県の出身者・ゆかりのある人物全体については、「神奈川県の人物」をご覧ください。

一覧

名前出没年出身地概要
出身者

あしかが よしあきら

足利 義詮
1330年~1367年神奈川県
鎌倉市
将軍武将

父・足利尊氏の跡を継ぎ、南北朝の動乱の中、南朝と戦い、北朝を優勢に導いた室町幕府第2代将軍

ゆかり

あしかがたかうじ

足利尊氏
1305年~1358年京都府
綾部市
将軍武将

後醍醐天皇に応じ鎌倉幕府を滅亡に追いやり、建武の新政後、室町幕府の初代将軍となった武将

ゆかり

あしかがただよし

足利直義
1306年頃~1352年不明
武将

足利尊氏の弟で実質的な幕政の最高指導者となるが、尊氏と対立し毒殺されたとされる鎌倉時代・南北朝時代の武将

ゆかり

あしかがもちうじ

足利持氏
1398年~1439年不明
武将

鎌倉公方の権力強化を図り幕府と対立、永享の乱を起こし敗北した室町時代の武将

ゆかり

あしかがもとうじ

足利基氏
1340年~1367年不明
武将

足利尊氏の四男で、初代・鎌倉公方となり、鎌倉府による関東支配の基礎を築いた南北朝時代の武将

出身者

あしかがよしうじ

足利義氏
1541年~1583年神奈川県
小田原市
武将

足利晴氏の次男で、北条氏の後ろ盾・傀儡として、第5代古河公方となった戦国武将

ゆかり

あだちとおもと

足立遠元
不明~不明不明
武将

平治の乱では源義朝に従い、源頼朝挙兵時には直後から臣下となり、その側近として政務を担った鎌倉武将

ゆかり

あだちもりなが

安達盛長
1135年~1200年不明
武将

源頼朝が伊豆に配流されていた頃から仕えた側近で、上野国の奉行人、三河守護などを歴任した鎌倉武将

ゆかり

あだちやすもり

安達泰盛
1231年~1285年不明
武将

鎌倉幕府第8代執権・北条時宗の外戚として、幕府の重職を歴任するが、霜月騒動で滅ぼされた鎌倉時代の御家人

ゆかり

いなばまさかつ

稲葉正勝
1597年~1634年京都府
大名幕臣藩主

春日局を母にもち、徳川家光に仕え、小田原藩の初代藩主などになった江戸時代の大名・老中

出身者

うえすぎかげとら

上杉景虎
1554年~1579年神奈川県
小田原市
武将

北条氏康の七男で、上杉謙信死後の御館の乱で上杉景勝と家督争いを行い敗れ自害した戦国武将

ゆかり

うえすぎのりざね

上杉憲実
不明~1590年新潟県
大名武将

永享の乱を戦い、足利学校や金沢文庫を再興した室町時代中期の関東管領・守護大名

ゆかり

おおえたく

大江卓
1847年~1921年高知県
大月町
首長議員実業家藩士

「マリア・ルス号事件」で神奈川県権令として奴隷船から清国人を解放した政治家・実業家

ゆかり

おおくぼただざね

大久保忠真
1782年頃~1837年東京都
藩主幕臣

京都所司代・老中などを務めるとともに、二宮金次郎を登用し、農村復興などの藩政改革を行った第7代小田原藩

ゆかり

おおくぼただちか

大久保忠隣
1545年~1613年愛知県
岡崎市
大名武将藩主

徳川家康に仕え、数々の戦で功を挙げ、小田原藩主となるが、改易に処せられた戦国大名

ゆかり

おおくぼただよ

大久保忠世
1532年~1594年愛知県
岡崎市
武将

徳川十六神将の1人に数えられ、二俣城主・小田原城主などとなった戦国時代の武将

出身者

かじわらかげすえ

梶原景季
1162年~1200年神奈川県
武将

源頼朝に仕え、宇治川の先陣争いで武名を挙げ、その後数々の戦で活躍するが、源頼朝死後、追討された武将

出身者

かじわらかげとき

梶原景時
1140年頃~1200年神奈川県
鎌倉市
武将

石橋山の戦いで源頼朝を救い重用・信頼され、侍所所司などを務めるが、頼朝死後、梶原景時の変で滅ぼされた鎌倉時代の武将

出身者

これやすしんのう

惟康親王
1264年~1326年神奈川県
鎌倉市
将軍皇族

執権・北条貞時に将軍の長期在任を嫌われ、将軍職を解任された鎌倉幕府の第7代将軍

ゆかり

たいらのよりつな

平頼綱
不明~1293年不明
武将

霜月騒動で安達泰盛を滅ぼし、専制体制を敷いて幕政を掌握するが、執権・北条貞時に攻められて自害した鎌倉時代の御家人・武将


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