福岡県の武将・武士

概要

 福岡県で生まれたり、福岡県にゆかりのある武将・武士の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

  福岡県の出身者・ゆかりのある人物全体については、「福岡県の人物」をご覧ください。

一覧

名前出没年出身地概要
出身者

あきづきふみたね

秋月文種
1512年~1557年福岡県
武将

大内氏・大友氏に仕えていたが、毛利氏の調略で、大友氏に反旗を翻し、攻められた自刃した戦国武将

ゆかり

いまがわさだよ

今川貞世
1326年~不明不明
大名武将歌人

歌人としても知られ、南北朝時代に、九州探題として、九州の南朝勢力を帰順させ九州平定を行った鎌倉時代・室町時代の大名・武将

ゆかり

おおうちまさひろ

大内政宏
1446年~1495年山口県
大名武将

応仁の乱には西軍側の主力として参戦するとともに、貿易・文化振興に力を入れ後に山口が西の京と呼ばれる基礎を築いた守護大名

ゆかり

おおうちよしおき

大内義興
1477年~1529年山口県
大名武将

周防・長門・石見・安芸・筑前・豊前・山城の7ヶ国の守護職となり、足利義稙将軍職に復職させた戦国大名

ゆかり

おおともそうりん

大友宗麟
1530年~1587年大分県
大分市
大名武将

領土を拡大し最盛期には九州6か国を支配したが、島津家の侵攻の中、豊臣家の一大名となった戦国時代のキリシタン大名

ゆかり

おおともよしあき

大友義鑑
1502年~1550年大分県
大名武将

大友宗麟の父で、大内氏などと争いながら、豊前・豊後・筑後・肥後の4ヵ国に領土を拡大させるが、二階崩れの変で亡くなった戦国大名

ゆかり

おがさわらただまさ

小笠原忠真
1596年~1667年茨城県
古河市
大名武将藩主

小笠原秀政の子で松本藩主を継承し、その信から、西国の押さえとして、明石藩主・小倉藩主となった人物

出身者

おがわのぶやす

小河信安
不明~1558年福岡県
武将

龍造寺隆信の家臣で、少弐氏家臣の神代勝利と争うが、一騎討ちに敗れ討ち取られた戦国武将

ゆかり

おばたたかまさ

小幡高政
1817年~1906年山口県
山口市
実業家銀行家首長官僚藩士

明治時代に、宇都宮県参事・小倉県参事などを務めた後、萩の産業振興に尽力し萩にナツミカン栽培を広めた実業家

出身者

かいばらえきけん

貝原益軒
1630年~1714年福岡県
学者藩士

福岡藩医であり、『大和本草』『養生訓』などを著した、江戸時代の本草学者・儒学者

出身者

きいしげふさ

城井鎮房
1536年~1588年福岡県
築上町
大名武将

城井谷城主で、豊臣秀吉に伊予国への移封を命じられるが拒否し、黒田軍と戦うが降伏・謀殺された戦国武将

ゆかり

くりやまだいぜん

栗山大膳
1591年~1652年大分県
中津市
藩士

福岡藩2代藩主・黒田忠之と対立し、黒田騒動により盛岡藩預かりとなった福岡藩家臣

ゆかり

くろだながまさ

黒田長政
1568年~1623年兵庫県
姫路市
大名武将

黒田官兵衛の嫡男で、関ヶ原の戦いなどで戦功を挙げ、福岡藩初代藩主となった大名・武将

ゆかり

こばやかわひであき

小早川秀秋
1582年~1602年滋賀県
長浜市
大名武将藩主

羽柴秀吉の正室・ねねの甥で、関ヶ原の戦いで西軍を裏切り徳川家康についた大名・武将

ゆかり

ごとうもとつぐ

後藤基次
1560年~1615年兵庫県
姫路市
武将藩士

黒田官兵衛黒田長政に仕え、数々の軍功をあげたが、その後出奔し、大坂夏の陣で戦死した武将

ゆかり

たかはしあきたね

高橋鑑種
1529年頃~1579年不明
武将

大友家の家臣として武功を挙げるが、毛利家に通じ反乱、攻め込まれ降伏した戦国武将

ゆかり

たかはしじょううん

高橋紹運
1548年~1586年大分県
豊後高田市
武将

大友氏の家臣として、北九州で戦うが、岩屋城の戦いで戦死した戦国時代の武将

出身者

たかはしたかたね

高橋高種
1470年~1515年福岡県
武将

堀越公方・足利政知に伊豆雲見城主となり、その後、北条早雲の家臣として活躍した戦国武将

出身者

たじりあきたね

田尻鑑種
不明~不明福岡県
武将

龍造寺家の家臣で、反乱を起こすが和睦し、その後も龍造寺家に仕え続けた戦国武将

出身者

たちばなぎんちよ

立花誾千代
1569年~1602年福岡県
久留米市
武将

立花宗茂の正室で、立花城主となった女性武将


 他の都道府県の出身者・ゆかりのある人物については、「人物の都道府県一覧」をご覧ください。

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