三重県の出身者・ゆかりのある武将・武士

概要

 三重県で生まれたり、三重県にゆかりのある武将・武士の一覧を掲載しています(五十音順)

 ※出身地は生まれた都道府県、出身地の市町村は現在の市町村、出没年は西暦で掲載しています。

一覧

名前出没年出身地概要
ゆかり

あしかが よしみ

足利 義視
1439年~1491年京都府
武将

将軍足利義政の後継となるが、足利義尚が誕生し、家督を争うことになった人物

出身者

あらき またえもん

荒木 又右衛門
1599年~1638年三重県
伊賀市
剣術家武士

日本三大仇討ちの一つ「鍵屋の辻の決闘」で活躍した江戸時代初期の剣豪

出身者

うじい すけもと

雲林院 祐基
不明~不明三重県
武将

織田信長の伊勢侵攻で、織田信包に仕えることになるが対立し、居城・雲林院城を追放された戦国武将

ゆかり

おだ のぶかね

織田 信包
不明~1614年愛知県
大名武将

織田信長の弟で、織田信長豊臣秀吉徳川家康に仕え、安濃津城主・丹波柏原城主などとなった戦国武将

ゆかり

おだ のぶたか

織田 信孝
1558年~1583年愛知県
名古屋市
大名武将

織田信長の三男で、清須会議後に豊臣秀吉と対立し、降伏・自害した戦国大名・武将

ゆかり

おだのぶかつ

織田信雄
1558年~1630年愛知県
江南市
大名武将藩主

織田信長の次男で、小牧・長久手の戦い後、豊臣秀吉徳川家康に仕え、宇陀松山藩などとなった戦国大名・武将

ゆかり

かのう ひさのり

加納 久周
1751年~1811年不明
藩主幕臣

寛政の三忠臣の1人とされ、側衆として松平定信を補佐して寛政の改革の推進に貢献した伊勢八田藩第3代藩主

ゆかり

がもう うじさと

蒲生 氏郷
1556年~1595年滋賀県
日野町
大名武将

豊臣秀吉に仕え、日野城主・松阪城主になり、最後は黒川城主として92万石の大名に出世した戦国武将

出身者

きたばたけ とものり

北畠 具教
1528年~1576年三重県
大名武将公家

伊勢・志摩を支配し、北畠家の最盛期を築いたが、織田信長に攻められ屈した戦国大名・公家

出身者

きたばたけ ともふさ

北畠 具房
1547年~1580年三重県
大名武将公家

北畠家の第9代当主であったが、織田信長に攻められ従属し、三瀬の変で幽閉された戦国大名

出身者

きたばたけ はるとも

北畠 晴具
1503年~1563年三重県
大名武将公家

伊勢国国司北畠家の第7代当主で、志摩の鳥羽城を奪い、志摩国をほぼ制圧した戦国大名

出身者

くきよしたか

九鬼嘉隆
1542年~1600年三重県
志摩市
大名武将

九鬼水軍を率い、志摩の国衆から織田信長や豊臣秀吉などに仕え、志摩国を領した戦国大名・武将

出身者

たかた またべえ

高田 又兵衛
1590年~1671年三重県
伊賀市
藩士

宝蔵院流高田派槍術の祖である、江戸時代前期の槍術家

ゆかり

たきがわ かずます

滝川 一益
1525年~1586年滋賀県
大名武将

織田信長の家臣として、長島一向一揆・甲州征伐などで功を挙げ大名となるが、織田信長の死後、柴田勝家につき、羽柴秀吉に降伏し出家した戦国大名・武将

ゆかり

とうどう たかとら

藤堂 高虎
1556年~1630年滋賀県
甲良町
大名武将藩主

何度も主君を変えると共に、築城の名手として多くの城を手掛けた戦国時代の武将

出身者

ながの たねうじ

長野 稙藤
1504年~1562年三重県
大名武将

長野工藤氏14代当主で、子の藤定とともに、北畠家と争うが、臣従することになった戦国大名

出身者

ながの ともふじ

長野 具藤
1552年~1576年三重県
武将

北畠具教の次男で、長野工藤氏の家督を継承するが、織田家に攻められ滅ぼされた戦国武将

出身者

ながの ふじさだ

長野 藤定
1526年~1562年三重県
大名武将

長野工藤氏15代当主で、北畠家と争うが、最終的には和睦・臣従することになった戦国大名

ゆかり

ほんだ ただかつ

本多 忠勝
1548年~1610年愛知県
岡崎市
大名武将

徳川家随一の猛将として知られた徳川四天王の1人であり、初代大多喜藩主・初代桑名藩主となった戦国武将

ゆかり

やまな そうぜん

山名 宗全
1404年~1473年兵庫県
大名武将

但馬国・備後国・安芸国・伊賀国・播磨国などの支配した大守護で、応仁の乱で西軍の総大将となった守護大名


 他の都道府県の出身者・ゆかりのある人物については、「人物の都道府県一覧」をご覧ください。

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